TANUKI夫婦の古社寺巡り 福岡県の古社寺
 福岡県の古社寺 その1
観世音寺
観世音寺 講堂(本堂) 観世音寺 金堂 日本最古の梵鐘(国宝)
五重の塔心礎 跡 観世音寺 宝蔵 国宝の仏像 案内板より
清水山 観世音寺 天台宗 本尊:聖観音

奈良時代・・・・天平時代に創建されたと伝えられ、「府の大寺」と呼ばれた観世音寺です。TANUKI 夫婦にとって、大好きなお寺です。なぜなら・・・・このお寺の宝蔵には、九州最大級の仏像がずらりと並んでいるのです。十一面観音さん、馬頭観音さん、不空羂索観音さんの3体は、いずれも5mほどの高さです。堂内に入った瞬間、いきなり圧倒される感じです。そのほか、四天王さん、吉祥天さん、地蔵菩薩さん、兜跋毘沙門天さん・・・・と、堂内にずらりと並んでおられる様は圧巻です。しかも、馬頭観音さんなどの前にベンチも置かれていますので・・・・仏様の前に座って、ゆっくりとお話しできるような・・・・不思議な感覚になります。
TANUKI 夫婦にとって、巣からそれほど遠くないお寺で(・・・・とは言っても、ここに来るには新幹線と地下鉄と西鉄電車を乗り継がないといけませんが・・・・)仏像を間近で、しかも静かにゆっくりと拝観できるのは、ここ観世音寺と周防国分寺ぐらいしか思いつきません。まさに奈良の古刹を訪れたと同じ印象を覚えます。(創建の時代など同じ時代で・・・・それが今に続いているからでしょうけど)
なお、観世音寺の梵鐘は7世紀末に鋳造され、京都妙心寺の梵鐘と同じ木型を用いて鋳型を造った兄弟鐘と考えられているそうです。しかし細工の様子から観世音寺の方がやや古く、現存する日本最古の梵鐘として国宝に指定されているようです。また、菅原道真公の詩に「都府楼纔看瓦色 観音寺只聴鐘声」(都府楼は纔(わず)かに瓦色を看る 観音寺はただ鐘声を聴く)とあるのはこの鐘のことだと言われているようです。
戒 壇 院
緑に囲まれた静かなお寺でした 戒壇院 総門 基壇跡が・・・昔は大寺だった・・・
戒壇院 臨済宗妙心寺派 本尊:盧舎那仏

もともとは観世音寺の子院だったようで、筑紫戒壇院は「天下の三戒壇」の1つと言われていたようです。戒壇とは僧尼の登壇授戒の場であり、その道場なのだそうです。戒壇院は、先ず東大寺に天平勝宝6年(754年)に鑑真和上によって設けられ、続いて天平宝字5年(761年)、下野薬師寺と筑紫観世音寺に設けられたと記録にあります。
観世音寺に隣接して、観世音寺同様に大きな木々に囲まれた静かなお寺でした。境内には基壇の跡などもあり、相当大きな規模の寺院だったのだろうと想像できます。しかし、数回訪れたいずれも、ご住職が不在で・・・・ご本尊さんも格子越しに、しかも堂内は薄暗く、全くよく分かりませんでした。古い建物と境内の様子から、説明通りの古い古い古刹と言うことは理解できましたが・・・・。
太宰府天満宮
太宰府天満宮 太鼓橋 楼門への参道 右が手水舎 太宰府天満宮 楼門
太宰府天満宮 本殿 本殿横の「飛梅」 太宰府天満宮 御朱印
菅原道真公を学問の神様として祀る神社。京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社だそうで、また菅公(道真公)の霊廟でもある神社です。年間の参拝者は850万〜1000万人と言われる九州で最も有名な神社です。
西鉄太宰府駅から続く参道の両側には、土産物店や梅ヶ枝餅(太宰府に来たら食べたいお餅、美味です〜!)のお店などがずらりと並んで、いつ訪れても多くの人で賑わっています。福岡空港から直通のバスも運行していて、外国からの観光客も多く見かけます。
境内には「梅園」はもとより「太宰府遊園地」もあります。また境内から九州国立博物館へアクセストンネル(エスカレーターと動く歩道)で結ばれています。九国(九州国立博物館)に行くにも、天満宮経由が便利です。
太宰府は、九州全体を統治し、外交・軍事を担った役所「大宰府」が置かれていた地ですから、大宰府政庁跡、水城跡など奈良・平安時代の多くの史跡が残っています。太宰府は、今まで何度も訪れていますが・・・・太宰府天満宮、観世音寺などを除いて、ゆっくりと観光していません。時間に余裕ができれば、ぜひ太宰府の歴史にもっと触れてみたいものです。
英彦山神宮
英彦山神宮 銅の鳥居 参道 左右に山伏の宿坊跡が・・・ スロープカーで「神駅」へ
英彦山神宮 奉幣殿 英彦山神社 下津宮(下宮) 修験道の行事(?)が・・・
英彦山神宮は、12世紀より「英彦山権現」として、神仏習合の西国修験道の一大拠点として栄えたようです。明治の神仏分離により修験道が廃止され、九州彦山山伏の本山であった霊仙寺は「英彦山神社」と改称され、その後、1975年に現在の「英彦山神宮」と改称されたそうです。銅の鳥居から続く参道の両側には、かつての山伏の宿坊跡が残されています。
英彦山神宮へは、一番奉幣殿にちかい駐車場からでも、300段以上のきつい石段を登らなくては行けません。そのため、 誰でも手軽に参拝できるようにと平成17年に「英彦山スロープカー」が開通し、とても楽に参拝できるようになりました。
英彦山は急峻な岩峰が続く、まさに修験の山です・・・・TANUKI 夫婦も若い頃から一度登ってみたいと思っていたのですが、未だに果たせていません。なお、英彦山から旧小石原村(現東峰村)にかけて「釈迦ヶ岳」「大日ヶ岳」などの急峻な山が連なり、いずれも山伏修行の地であったようです。
なお、TANUKI がまだ若い頃、ms.TANUKI の祖父から「昔、事ある時は、英彦山から宇佐神宮へ急を知らせる尾根道があった。今でも、その痕跡は残っている」と聞いたことがあるのですが・・・・今となっては、その真偽を確かめようもなくなりました。
最後に掲載している写真は、2013年10月に訪れた時、偶然に修験道の行事(TANUKI には何の祈りか不明ですが・・・・)に遭遇しました。大勢の山伏さんたちが護摩を焚いて行事をしておられました。ちょうど行った時に「山伏問答」をしておられたように思います。このような修験道の行事に遭遇するのは、ずいぶん昔、三瓶山の麓で遭遇して以来で、とても感動しました。