TANUKI夫婦の古社寺巡り 京都の古社寺 その1 京都南部
 京都の古社寺 その1 京都南部
宇治 平等院鳳凰堂
平等院 鳳凰堂 屋根の鳳凰がきれいでした 宇治橋と紫式部像
朝日山 平等院 本尊:阿弥陀如来 17世紀以来は天台宗と浄土宗を兼ねていたが、現在は特定の宗派には属さず、塔頭である本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理。

平安時代後期、藤原頼通が建立した阿弥陀堂とのことですが、10円硬貨のデザインでもあり、一度は行ってみたいと思っていました。とにかく「美しい!」という言葉しか浮かばない見事な建物でした。
訪れたのは午後の遅い時間だったのが幸いして、参道の商店街も人が少なく・・・・鳳凰堂は入場者数を制限して見学させるので、結構な行列ができるらしいのですが・・・・並ぶことなく参拝できました。定朝様(じょうちょうよう)の阿弥陀如来さんも美しく堂々とした姿でした。この阿弥陀如来さんは、唯一定朝の作と確認できるとのことでしたが・・・・定朝さんが阿弥陀仏を大量生産するために様式化したのが「定朝様」の仏像なのですから、多くの分業化した職人が作り上げたのではないのでしょうか。この仏像だけは定朝さんが1人で彫ったというのでしょうか。このあたり、よく理解できませんでした。
阿弥陀さんも素晴らしかったのですが、鳳凰堂の長押(なげし)の上に懸けられた飛天(雲中供養菩薩像)は感動的な美しい菩薩さんでした。52体の飛天さんのうち半分は模刻で、本物はミュージアム鳳翔館に展示してあるとのことでした。早速行ってみました。間近で見る菩薩さんは何とも言えない程美しく、素晴らしい菩薩像でした。感動しました。
宇治橋の側には紫式部さんの像がありました・・・・この地は、平安以来、多くの歴史の舞台となった地なのですね。
萬 福 寺
萬福寺 総門 萬福寺 三門 大雄寶殿(だいおうほうでん)(本殿)
黄檗山 萬福寺 黄檗宗 大本山 本尊:釈迦如来

隠元禅師によって開かれた黄檗宗のお寺です。このお寺、普茶料理(ふちゃりょうり)が有名です。普茶料理とは、隠元禅師が中国から伝えた精進料理だそうで、「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味なんだそうです。なんでこんなことを書くかというと、実はTANUKI の母親がお茶(茶道)の仲間やお弟子さんたちを連れてよく食べに行ってたようなんです。
話にはよく聞いていたのですが・・・・TANUKI 夫婦は初めて訪れました。ご本尊は大きな布袋さん(弥勒如来さんの化身とのこと)でした。今まで、日本的な仏像しか見てこなかったからか・・・・ちょっと違和感がありました。安置されてる仏像も、建物の造りも、中国的というか・・・・逆に何か新鮮な感じがしました。
このお寺を訪れたのは・・・・実は、先の平等院に行った帰り、京阪電車で「黄檗」という駅で思わず先の話を思い出し降りてしまったという訳です。時間はもう夕方。境内には参拝客も我々夫婦と、あと同年代かなと思われるご夫婦だけでした。というわけで、もちろん普茶料理にはご縁(?)がありませんでした。
浄瑠璃寺
浄瑠璃寺 山門 東に薬師如来さんを祀る三重塔 庭園を挟み西に九体阿弥陀さんの本堂
小田原山 浄瑠璃寺 真言律宗 本尊:九体阿弥陀仏・薬師如来

京都府木津川市のお寺ですが、奈良市からレンタカーで行きました。バスでも20分ちょっとの距離のようです。山里に静かにたたずむお寺です。山門までの細い参道が素敵です。一番の目的は「九体阿弥陀」さんに会いたいため。平安時代に流行し、貴族などが競って建立したそうです。、そのため大量の阿弥陀仏を制作する必要が生じ、仏師定朝さんが阿弥陀仏の様式を確立し、大量生産を可能にしたとのことです。しかし、九体の阿弥陀さんは、今ではこの浄瑠璃寺とあと数ヵ寺しか残っていないようです。
浄瑠璃寺の伽藍配置も・・・・東の三重塔におられる薬師如来さん(瑠璃光浄土)の元に生まれ・・・・中の池とそこに浮かぶ島が、釈迦如来さんのおられる現世・・・・そして、西の阿弥陀如来さんの極楽浄土に。というつくりだそうです。
とても静かなお寺でTANUKI 夫婦の好きなお寺です。特に、ずらりと並んだ阿弥陀如来さんの前にじっと座ってると、何とも言えない落ち着いた気持ちになれます。
堂内には、秘仏の吉祥天さんもおられます。通常は厨子の中ですが・・・・ご開帳は秋なので、今まで2度お会いすることができました。しかし、三重塔の薬師如来さんは秘仏のため、まだお目にかかれていません。いつかお会いしたいものです。
岩 船 寺
岩船寺の名前の起源となった石風呂 岩船寺 山門 岩船寺 本堂
高雄山(こおゆうざん) 岩船寺 真言律宗 本尊:阿弥陀如来

この地方は、平安遷都までは「山背国(やましろのくに)」とされ、興福寺や東大寺の高僧・修行僧の隠棲の地だったようで、数多くの堂塔が立ち並んでいたと言われてます。岩船寺も行基さんが開祖と言われ、修行僧が寺に入る前に山門前の岩風呂で身を清めたことに由来するとのことです。
ご本尊は「丈六」(いわゆる3m近い)の阿弥陀如来坐像。見事な阿弥陀さんです。須弥壇にはそのほか、四天王さんなどが瀬尾前と並んでおられます。いささか窮屈そうにTANUKIには思えましたが・・・・。
アクセスは、お寺の門前には民間の駐車場もありますが・・・TANUKIはレンタカーを浄瑠璃寺前の民間駐車場に駐めてコミュニティバスで行きました。帰りは山道を、石仏めぐりをしながら戻りました。
当尾 石仏
不動明王立像(一願不動明王) 阿弥陀三尊(通称:笑い仏) カラスの壺 二尊 阿弥陀仏
藪の中の三尊 首切り地蔵 弥勒の辻・・・線刻の弥勒如来
当尾(とおの)は奈良からも近く、南都仏教の影響を受け、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の地として草庵を結び、その後草庵が寺院へと姿を変え、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、いつしか「当尾」と呼ばれるようになったといわれているそうです。当時は多くの寺院が建立されていたようですが、その後の兵火などで建物は焼け、今は浄瑠璃寺、岩船寺、そして石仏だけが残ったようです。
石仏巡りはホームページなどで紹介されているのを見て、行ってみたいと思いました。浄瑠璃寺の門前にある駐車場にレンタカーを駐めて、駐車場を管理しておられるおばさんに聞いてみましたら「ここから岩船寺へは登りになるので、岩船寺からここに戻る方が楽ですよ・・・・」と教えてくださいましたので、コミュニティバスで岩船寺へ。岩船寺から石仏巡りに出発しました。
国東などの無骨な石仏を見慣れてるTANUKI 夫婦には、明らかに専門の職人が作ったと思われる洗練された美しい石仏は、違和感と共に新鮮な感覚でした。ただ、途中で道がよく分からなくて、弥勒の辻へは行けませんでした。4年後に改めて弥勒の辻にも行ってみました。線刻の磨崖仏でしたが、彫られた線が薄くなって、よく見ると・・・・と言う状態でした。他の石仏もですが、永い歴史を見てこられた仏像だと・・・・改めて石仏を彫られた方、それを祀ってこられた多くの人々の思いを感じたような気がしました。