TANUKI夫婦の古社寺巡り 京都の古社寺 その1 東山界隈
 京都の古社寺 その2 東山界隈
清 水 寺
清水寺 仁王門 清水寺 西門 後ろに 三重の塔 清水寺 本堂
音羽山 清水寺 北法相宗 大本山 本尊:十一面千手観世音菩薩

TANUKI 夫婦が、まだ古社寺巡りを始めた頃のことです。今まで、京都は仕事では何度も訪れていますが、観光は・・・・ほとんどしたことがありません。つまり、京都に関しては、ほとんど白紙状態でした。そんな時、再び奈良の仏像に会いたくなって旅の計画を立てたのですが・・・・ms.TANUKI が、前年、孫に会いに行く途中泊まった宿にもう1度泊まりたいと言い出し、京都で半日の観光を計画することになりました。
とりあえず京都をのんびり歩いてみたいと思ったのですが・・・・京都に関しては完全に「青葉マーク」の初心者。仕方なく息子ダヌキに相談しました。「京都をのんびね〜・・・・でも、時間が少ないからなあ〜」と考えてくれ「清水寺から産寧坂を通って八坂の塔に。その後、二寧坂、高台寺から八坂神社・・・・」と言うコースを薦めてくれました。
というわけで・・・・清水寺へ。「なるほど、これが清水の舞台か!」「これが音羽の滝か!」と、有名な場所を目の当たりにした感動はありましたし、結構ゆっくりと見学(!)できましたが・・・・やっぱり仏像にはご縁がありませんでした(何せご本尊さんは絶対秘仏だとか・・・・)。また、何も予習(?)しないで行きましたので、何となくサラリと通りすぎた感じです。やっぱりある程度調べていくべきですね。
《 その後、高台寺までの京都散歩 》
清水寺も産寧坂周辺も、さすが京都。シーズンオフというのに人が多かったですね。写真を撮ろうと思ってカメラを構えても、ファインダーにピースをしてるお姉ちゃんが入ってしまう。カメラを構えて立ち止まったら・・・・何か迷惑そうな顔で前を通り過ぎて行く。それと和服で歩いているお兄ちゃんやお姉ちゃん・・・・京都っぽいなと思ったら、どう見ても日本人じゃないみたい・・・・そう言えば、周囲から聞こえる声はTANUKI には意味不明の言葉ばかりでした。でも、これでも観光客は少ないとお店の方は言っていましたけど・・・・。
八坂の塔は、特別公開とかで塔の上部まで登らせて戴きました。通常、五重の塔とかは上層階に登れるような構造にはなっていませんよね。塔というのは、仏舎利(お釈迦様の遺骨)を祀る場ですし・・・・。八坂の塔は上まで登れるんだ・・・・驚きと感動でした。
高 台 寺
高台寺 方丈 高台寺 臥龍廊(がりょうろう) 高台院(ねね)さんが眠る御霊(おたまや)
鷲峰山(じゅぶさん) 高台寺 臨済宗建仁寺派 本尊:釈迦如来。

豊臣秀吉さんの菩提を弔うため「ねね」(高台院さん)さんが建立したお寺だそうです・・・・御霊(おたまや)は秀吉さんとねねさんを祀っているお堂ですが、ねねさんはここに眠っておられるという説明でした。
方丈や茶室は、ねねさん縁の伏見城から移築されたと記録にあるようですが、度重なる火災により焼失。創建時の建造物で現存しているのは、開山堂、秀吉と北政所を祀る霊屋(おたまや)、茶室の傘亭と時雨亭などだそうです。
清水寺や産寧坂、二寧坂に比べて参拝客は少なく、ちょっと静かな気持ちで境内を歩けました。で、ねねさんが大阪城が燃えるのを見たという茶室を案内してくださったお姉さんに「桜や紅葉の頃は良いでしょうね」と言ったら「その頃に、ぜひまた来てください。でも、来られるなら平日の午前中が良いですよ。」とのこと。なるほど、今はシーズンオフか?やっぱり桜や紅葉の時は拝観者が多いのでしょうね。
八坂神社
八坂神社 石鳥居 八坂神社 南楼門 八坂神社 西楼門
祇園祭で有名な「八坂神社」ですが・・・・TANUKI 夫婦の住む町にも「八坂神社」も「祇園祭」もあります。室町時代、京都が応仁の乱で荒れ果てた時に、文人などが大内氏を頼って京を離れ「西の京」と言われる大内文化を花開かせた、西日本に広大な勢力を誇った大内氏によって「八坂神社」も京都から勧請したと伝えられています・・・・と言うことは、こちらがご本家(?)ですね。そう言えば博多の山笠も・・・・「博多祇園山笠」ですね。
神社の歴史を見てみると・・・656年に創建されたそうですが、延長5年(927年)の「延喜式神名帳」には神社として載っていないようです。当初は興福寺、その後延暦寺の支配下にあったようです。明治までは、きっと神仏習合の神社だったと思われます。
ま、そんなことはともかく・・・・祇園祭は京都を代表する祭りの1つですし・・・・地元の氏神(産土)様でもあるし・・・・京都を代表する観光地ですし・・・・さすがに立派な神社でした。しかしながら、TANUKI 夫婦の当初の予定では、清水寺から八坂神社を経由して南禅寺や銀閣あたりまで行ってみたいと思っていたのですが・・・・あまりにのんびりとしてたので八坂神社に到着した時点でタイムアップとなってしまいました。
《 TANUKI の夢ですけど・・・ 》
祇園祭は「疫病退散!」がその起こりだと聞いています。博多の祇園山笠もそうですよね。このページは、新型コロナで、もう2年間どこにも旅に行けず、家に籠もって書いています。この疫病に人類が打ち勝ったら・・・・また京都にも訪れてみたいものです!
南 禅 寺
南禅寺 中門 南禅寺 三門 三門からの眺め
南禅寺 方丈(国宝)の庭 水路閣・・・琵琶湖疎水の水路橋 水路閣の上を琵琶湖疎水が流れていた
瑞龍山 南禅寺 臨済宗南禅寺派 大本山 本尊:釈迦如来

上記の清水寺から八坂神社を歩いてから6年後、改めて東山周辺を訪れました。
まずは南禅寺へ。琵琶湖疎水を通す水路閣・・・・ここ、前から行ってみたかったんです。京都近代産業の遺産ですよね。水路閣の上を流れる疎水も実際に目で見て感動でした。南禅寺ののもう1つのお目当ては「三門」。とにかく壮大というか・・・・大きいですね。早速拝観料を払って、狭く急な階段を登って上に。目の前に京都の町が広がり、絶景でした。歌舞伎の石川五右衛門の気分!「絶景かな〜」が聞こえてきそうな風景でした。
当初の来た目的は達しましたが・・・・しかし、さすが臨済宗南禅寺派の大本山・・・・広いですね〜。歩くのに疲れます・・・・しかも行く先々で拝観料が必要。これは何とかならないのでしょうか?さすがに途中で巡るのを諦めました。仏像についても、それぞれのお堂(?)では無理でも、せめて山門の上に安置されているとガイドブックにあったご本尊、宝冠釈迦坐像さんをはじめとする仏像にはお目にかかれると思っていたのですが・・・・堂内は薄暗く、しかも内陣との間は金網で仕切られていて、よく見えませんでした。残念です!
永 観 堂
聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん) 禅林寺(ぜんりんじ) 通称:永観堂 浄土宗西山禅林寺派 総本山
本尊:阿弥陀如来(みかえり阿弥陀)。

永観堂は、今回の京都への旅で唯一仏像を目当てに訪れることを計画したお寺です。お会いしたかったのは「見返り阿弥陀」さん。
永観堂禅林寺の本尊「みかえり阿弥陀」さんについて、その伝説などは省略しますが・・・・平安時代後期の作風ですが、衣文などから慶派ではない鎌倉時代の京都の仏師の作ではないかといわれているそうです。
京都の古刹はどこも広大な敷地を持っています。ここ永観堂もその例にもれず・・・・広い敷地に多くのお堂が並んでいました。しかも、それぞれのお堂には外からは入れてもらえず・・・・玄関から入って、お堂とお堂とは渡り廊下のようなものですべて繋がっていました。廊下は延々と続き、段差もあって、一部には簡易なエレベーターも・・・・。ずっと歩いて、一番奥の阿弥陀堂へ。やっと阿弥陀様にお目にかかることができました。少し離れた場所からしか拝観できませんでしたので、衣文などまで詳細に拝見することまではできませんでしたが、とても素敵な仏像でした。
ただ、帰りに永観堂の廊下を歩いていたら目まいがして、危うく階段を踏み外しそうに・・・・かなりの体調不良を覚え、ふらふらしながら永観堂を出ました。門前の喫茶店で一休みして、ぜんざいを食べてちょっと落ち着くことができました。
慈照寺(銀閣寺)
東山(とうざん) 慈照寺(じしょうじ) 臨済宗相国寺派 大本山相国寺の境外塔頭 本尊:釈迦如来

永観堂を出て、まだ若干の体調不良を感じながら、まだ時間があるので、少し足を伸ばして慈照寺(銀閣)へ。それにしても・・・・京都はTANUKI の巣に比べて経度が東にずいぶん寄っているからでしょうか、午後4時前というのに、もう夕方って感じでした。
慈照寺は、さすがに京都のメジャーな観光地。すごい人でした。それも韓国の若者が多いような・・・・周囲の言葉だけ聞いてたら、ここはまさに外国でした。で、人混みに押されて拝観コースを通り抜けたって感じで、気づいたら出口・・・・結局、何を見たのでしょう?印象ゼロ状態でした。
京都も閑散期なら観光客も少ないだろうと期待してたのですが、全くの期待外れでした。あの意味不明で甲高く大きな声は少なかったですが、ハングルばかり聞かされました。しかも若い人が多かったですね。「まあ」というか「さすが」というか京都ですね。途中で立ち寄ったお店の人が「ここは春と秋は外国ですよ・・・・」と言っておられましたけど、これでもましな方なのかも知れませんね。
ただ、ひとつだけ疑問なのは「あの人達、何を求めてお寺とかに来るんだろ?」宗教は関係ないですよね。かといって、庭とかを静かに眺めてるわけでもないし・・・・。

《 後日談ですが・・・・ 》
この日、ホテルに戻って再び体調不良を感じ・・・・そのままベッドに。朝まで寝込んでしまいました。あとでms.TANUKI が言っていました「私1人じゃ連れて帰るのも無理かも知れないし・・・・息子達に連絡して来てもらおうかと真剣に思った」と。すみません!迷惑をかけました!翌日には体調も回復し、旅を続けたのですが・・・・巣に戻ってから数日後、再び体調不良に。医者に行ったら「インフルエンザ 」との診断でした。いつ、どこで感染したんだろう?