TANUKI夫婦の古社寺巡り 京都の古社寺 その3
 京都の古社寺 その3
蓮華王院(三十三間堂)
拝観料窓口・・・修学旅行生が多い 立派な山門をくぐって境内へ 国宝 本堂(三十三間堂)
蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう) 天台宗 本尊:千手観音 妙法院の飛地境内で、同院が所有・管理

蓮華王院(三十三間堂)、修学旅行でも人気スポットのようですね。訪れた時も、修学旅行生と思われる中学生や高校生のグループがたくさん訪れていました。ま、それは良いとして・・・・びっくりしたのは拝観料の窓口が、まさに遊園地の切符売り場さながらに造られていたこと。え〜!ここってテーマパーク?と思わずつぶやいてしまいました。(観音さん、不謹慎な言い方でごめんなさい!)
本堂でもある三十三間堂は、22×120mの長大なお堂の中に、ご本尊の千手観音さん(坐像)と 1,001体の千手観音さん(立像)、それに有名な風神さん、雷神さん、二十八部衆などの仏像がぎっしんりと並んでおられました。まさに圧巻!仏様のワンダーランド・・・・なるほど、これならあの切符売り場(?)も・・・・と変な納得をしてしまいました。
創建時(平安時代)の千手観音さんは火災(1249年)でほとんどが焼失し、焼け残ったのは 124体だけだそうです。それ以外の像は、鎌倉時代、運慶や快慶と行った慶派の仏師をはじめ院派、円派といった著名な仏師によって再興されたと説明にありました。
また、千手観音さんはそれぞれ違った表情をしておられ、会いたい人に似た顔の仏像を見つけることができるそうですが・・・・千手観音さんは11のお顔と40の手を持っておられるそうですから、きっと会いたい人の顔があるのでしょうね。
探してみようかと思ったのですが・・・・訪れた時、修学旅行の学生さんたちのグループがたくさんいて、観音さんの前でじっと立ち止まるのは迷惑がかかりそうだったので諦めました。ちょっと残念でしたが・・・・。
東 寺 ( 教王護国寺 )
近鉄「東寺駅」から行きました 東寺 山門 山門の先に金堂
薬師三尊さんを安置する金堂 金堂の奥に立体曼荼羅の講堂 京都のランドマーク 五重の塔
八幡山 東寺(とうじ) 東寺真言宗 総本山 本尊:薬師如来  教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる

平安遷都の時に羅生門の東西に建立され、現在も残るお寺ですね。嵯峨天皇から空海さんがこの寺を任され、真言密教の根本道場としたとのことです。それ以来東寺は国家鎮護の官寺であるととも真言密教の根本道場となり、鎌倉時代になってからは弘法大師信仰が高まり、「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになったようです。また、京都のランドマークともなっている五重の塔(国宝)は、創建以来、落雷などによって4度も焼失したようで・・・・今の塔は徳川家光が再建したもので、日本一の高さだそうです。
伽藍配置は弘法大師さんの時代と全く同じ配置を伝えているとのことでしたが、金堂におられるご本尊さんは薬師如来さんでした。
また、空海さんが密教を伝え広めるために建立された講堂には、その教えを立体曼荼羅として大日如来さんを中心に諸仏が配置されていました。いずれも歴史を感じさせる大きなお堂で、中は薄暗く・・・・その中に諸仏が堂々たる威容で安置されている。しかも、それらの仏像が秘仏とかではなく・・・・手が届くような近くで拝観できる様は、京都と言うより奈良の古刹を思わせるようなお寺でした。
まさに仏像の宝庫、仏像の展示室・・・・すごい! 京都にもこんなお寺があったんだ!
西本願寺
西本願寺 唐門 西本願寺 阿弥陀堂 西本願寺 御影堂
龍谷山(りゅうこくざん) 西本願寺 浄土真宗本願寺派 本山 本尊:阿弥陀如来  正式名称は龍谷山本願寺

西本願寺へ。TANUKI の家は先祖代々浄土真宗なのです。本山は西本願寺・・・・TANUKI の父親が亡くなった時に行った覚えがあるのですけど(早くなくなったので・・・・TANUKI が中学生でした)、もう半世紀以上も前ですから記憶には残っていません。母親も亡くなりましたが、分骨はしませんでした。でも、京都に来たんだから、ご本尊様に挨拶ぐらいはしないと・・・・。
西本願寺は、とにかく広い前庭の向こうに阿弥陀堂と御影堂(ごえいどう)がど〜んと並んでいました。とにかく大きい!中に入らせて戴きましたが、御影堂は 441畳敷・・・・1200人収容できるとか。阿弥陀堂(本堂)も 285畳敷 800人が収容できるとか・・・・。どちらのお堂も、中で運動会(!)ができそう。
訪れたのが平日の午前中でしたが、さすがに西本願寺は観光客もいなくて静かな境内でした。また、1618年に伏見城から移されたと言われている「唐門」は、見事な彫刻で飾られた美しい門でした。
神 泉 苑
神泉苑大鳥居 善女龍王社へ渡る「法成橋」 恵方社
神泉苑(しんせんえん) 東寺真言宗 本尊:聖観音

「神泉苑」には1度訪れてみたかったのですが・・・・それは、平安京というのは、風水によると四神の守る地で、ここ神泉苑がその気がわき出る地とか・・・・昔、何かの本で読んだ記憶があります。また、昔の内裏はこのあたりだったそうで、桓武天皇により禁苑(天皇のための庭園)として造営されたのだそうです。当時はかなり広い苑だったようで、苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られていたと記録に残っているそうです。平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられたようで、竜頭鷁首の舟などを使って貴族たちが船遊びをしていたのでしょうね。江戸時代になり、徳川家康が二条城を築城するために神泉苑の湧水を城の堀に利用するため北側を埋め立てたんだそうです。
境内には、節分の時におなじみの「恵方」を祀る日本で唯一の恵方社がありました。大晦日の深夜に、ご住職らの手によって新年の恵方へと向きが変えられるそうです。
訪れた時の第一印象は・・・・入り口の鳥居、真っ赤な法成橋、善女龍王社などから神社だと思いました。でも、説明を読むと・・・・真言宗の寺院なのだそうで、ご本尊は聖観音さんとのこと。ま、神仏習合なのでしょうけど・・・・不思議な感覚でした。
天 龍 寺
天龍寺 庫裏(くり) 玄関正面に達磨図 700年前の夢窓国師作庭 曹源池庭園
霊亀山(れいぎざん) 天龍寺 臨済宗天龍寺派 大本山 本尊:釈迦三尊
正式名称は霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)

京都での古刹巡りで、時間に余裕があったので・・・・何となく西の方に行ってみようとバスに乗っていました。車窓をボーッと眺めていましたら「嵐電」が。思わず次のバス停で降りて嵐電に乗り換えました・・・・というわけで、嵐山に行ってしまいました。
嵐山は予想通り観光客で溢れかえっていました。渡月橋まで、ずっと観光客の列が続いてる。しかも聞こえる言葉はハングルばかり。やっぱりな〜と思いながらも、何とか人混みを避けたいと裏道へ。ちょっと素敵な喫茶店を見つけました。丹波の栗が入ってて、とても美味しい「ぜんざい」を食べてから定番の観光地「渡月橋」へ。その後「天龍寺」へ。入り口(庫裡)で大きなダルマさんの絵が迎えてくれました。しかし、ここも観光客で溢れてて・・・・押されるように寺の中を通り・・・・庭を通り・・・・気がついたら寺の外へ。何のインパクトも・・・・印象は何も残りませんでした。強いて言えば、玄関の達磨さんの絵ぐらいかな?それと、御朱印は手書きでなく判子だったこと。その代わり200円(相場?は普通300円)でしたけど・・・・。
天龍寺を出てから嵐山観光の定番、竹林をぶらりと散歩をと思ったのですが、ここも観光客の列が・・・・竹林の道が人の波で埋め尽くされ・・・・道路も見えないような状態になっていました。とてもとても、のんびりと歩くような雰囲気ではありませんでした。
京都って、いつからこんな騒々しい外国(?)になってしまったんでしょうね。