TANUKI夫婦の古社寺巡り 奈良市中心部の古社寺
 奈良市中心部の古社寺
東 大 寺
東大寺 南大門 運慶快慶の傑作 金剛力士像 東大寺 鏡池から大仏殿
東大寺 大仏殿 大仏殿 と しだれ桜 大仏殿前 八角灯籠 (国宝)
奈良の大仏さん(毘盧遮那仏) 大仏さんの鼻の穴くぐり 東大寺 大梵鐘 (国宝)
東大寺 戒壇院 東大寺 二月堂 東大寺 二月堂正面
二月堂から大仏殿と奈良市街 二月堂 お水取り(修二会) 東大寺 三月堂(法華堂)
東大寺 四月堂 東大寺 俊乗堂 東大寺 行基堂
東大寺 華厳宗 大本山 本尊:盧舎那仏(るしゃなぶつ 奈良大仏) 山号はなし(奈良時代の寺院には山号はない)

東大寺は、やはり奈良、いや日本を代表する古寺だとTANUKIは思います。訪れる度に新しい感動があります。
大仏殿の毘盧遮那仏さんをはじめとする仏様・・・・どこも堂内は写真撮影禁止なのに、ここは「勝手に写真も撮って良いよ」とおおらかです。大仏殿では、TANUKI 夫婦の孫たち4名それぞれの名前を書いて瓦を寄進しました。
しかし、近年、南大門前から大仏殿は中国や韓国からの観光客に占領された状態です。TANUKI 夫婦は、最近は「戒壇院」側か反対側の「手向山八幡宮」側から境内に入らせていただいています。
「戒壇院」は塑像の四天王さんが見事です。「法華堂」にはTANUKI が一番大好きな不空羂索観音さんがおられます。
「俊乗堂」を訪れた時に「重源さんが大仏殿の木材を切り出された滑(なめら)官林の近くから来ました」と言いましたら坊守さんが笑いながらお茶をご馳走してくださいました。
お水取りの時にはセミナーに参加して、「十二面観音悔過」という正式名称とその意味を知ることもできました。二月堂の下でカメラを構えてウロウロしていましたら、同じようにカメラを向けておられた初対面の方に撮影のポイントなどを教えていただきました。
まだまだ、東大寺についても知りたいことや知りたい場所がたくさんあるような気がします。何度でも行きたいお寺です。
番外編・・・若草山〜奈良奥山ドライブウェイ
若草山一重目の眺め 結構広い! 二重目 奈良の町並みがきれいです 東大寺大仏殿 上からの眺めもきれい
若草山の山頂部には鴬塚古墳も・・・ 枕草子が名前の由来とか 鹿さんたちの遊び場のようです
ドライブウェイは東大寺の裏側から 春日山原始林の中 「鶯の滝」 滝の奥に歓喜天さんが・・・
古社寺巡りとは全く関係ないのですが・・・・東大寺から春日大社への途中、ほんの少し足を伸ばして若草山へ。
別名「三笠山」とも呼ばれているように、山は三重構造になっています。二重目まで登ると奈良の町がとても美しく見渡せます。
山頂(標高342m)には前方後円墳が築造されています。「鴬塚」と呼ばれていますが、この古墳名は清少納言の『枕草子』における「うぐひすのみささぎ」をこの古墳とする伝承に由来するようです。ただ、墳丘には全面に砕石による葺石が敷かれ、円筒埴輪列が確認できますが、発掘調査は実施されていないとのことです。
なお、百人一首にある阿部仲麻呂の歌「あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の三笠山とする説もあったようですが、この歌の三笠山は春日大社の裏手にそびる「御蓋山(みかさやま)」というのが定説のようです。

山頂部へは登山道を登るほかに、東大寺の裏手から伸びる「奈良奥山ドライブウェイ」を使っても山頂部へ行くことが出来ます。
このドライブウェイ、鶯塚古墳を過ぎてからは春日山原始林の縁をかすめるように道路が伸びています。原始林の雰囲気と途中ちょっと歩いて「鶯の滝」までミニトレッキング気分が味わえました。
訪れた時は、時間が足りなかったのですが・・・・途中、磨崖仏や石仏など、もっと見所があるらしいので、また機会があれば訪れてみたいと思っています。
興 福 寺
興福寺 東金堂と五重の塔 興福寺 東金堂
興福寺 中金堂 (2018年に再建) 興福寺 南円堂
興福寺 三重の塔 猿沢の池と五重の塔 五重の塔 ライトアップ
興福寺(こうふくじ) 法相宗 大本山 本尊:釈迦如来(中金堂) 山号はなし

藤原氏の氏寺として現在の春日大社を含めた境内に大伽藍を構え、権勢を振るった大寺院だったそうですが、明治政府の神仏分離令により衰退したと伝えられています。
TANUKI 夫婦は、有名な国宝「阿修羅像」に会いたくて参拝し、その後は奈良に行く度に訪れています。国宝五重塔、国宝三重塔の特別拝観では、内部の壮麗さに感動しました。まだ中金堂の再建時に、御朱印をいただきに行ったら「中金堂の瓦を寄進していただければ、すぐに屋根に上がりますよ。」と言われ、まず亡くなった2人の親友の冥福を祈って寄進、その後、孫2人の名前で・・・・その次は我々夫婦の名前でと、行く度に寄進しました。(孫の4人は東大寺に、2人は興福寺に瓦の寄進をしたことになります)
もちろん中金堂の落慶のニュースを聞き、たまらず訪れました。新しい広い須弥壇の上で釈迦如来さんをはじめ薬王・薬上菩薩さんなどの仏様が静かに迎えてくださいました。新しい木の香りと柱に残る釿(ちょうな)の跡に、現代の宮大工さんの技を感じました。
興福寺は、境内をぶらぶら歩いているだけで不思議な落ち着きを感じます。境内を出て、猿沢の池の畔から見る五重の塔も絶景です。
元 興 寺
元興寺 東門 元興寺 極楽坊本堂(国宝) 元興寺 禅室
元興寺 浮図田・・・石塔が整然と並ぶ 行基葺きの古瓦(飛鳥時代の瓦)
元興寺 旧称「元興寺極楽坊」 真言律宗 西大寺末寺 本尊:智光曼荼羅

平城京遷都に伴い、蘇我馬子によって開かれた飛鳥寺(法興寺)を奈良の地に移築したと伝えられています。当初は、現在の「まらまち」一帯を含む広大な境内を所有していたようです。
本尊は智光曼荼羅(浄土曼荼羅)。法輪館には国宝の高さ5.5m「五重小塔」があります。今風に言えば、ミニチュアというか・・・精巧な模型ですが、奈良時代に造られた見事な塔です。また、本堂北側の屋根の一部に飛鳥時代の古瓦が東寺の行基葺(ぎょうきぶき)と言う技法で残っています。境内に整然と並べられた石塔・・・・浮図田と呼ばれていますが、そこから見上げると、行基葺きの古瓦を見ることができます。TANUKI 夫婦の目的でもある仏像は少ないのですが、とてつもない歴史の重みを感じさせてくれるお寺の一つです。

なお、現在3寺院が分立しているそうで、残りの2寺とは
A元興寺(奈良市芝新屋町) 華厳宗 東大寺末寺 本尊:十一面観音 元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引く寺
B小塔院(奈良市西新屋町) 真言律宗 本尊:虚空蔵菩薩 元興寺小塔院の系譜を引く寺
だそうです
新藥師寺
新藥師寺 南門 新藥師寺 本堂 新藥師寺 御朱印
日輪山 新薬師寺 華厳宗 本尊:薬師如来  奈良時代の寺院には山号はないので、後でつけたものと思われます

新藥師寺の「新」とは、お寺の説明によると、新しいの「新」ではなく霊験新たかの「新」だとのことですが・・・・とにかく仏像の素晴らしいお寺です。
日光・月光の菩薩さんを従えたご本尊の薬師如来さんは、とても静かで優しいお顔です。いつまでも如来さんと向き合っていたい・・・そんな気持ちになります。薬師如来さんを囲む十二神将さんたちは、とても勇壮で、今にも動き出しそうです。これが奈良時代につくられた塑像かと思うと、古(いにしえ)の技術の高さに驚くばかりです。一気に、奈良の時代へタイムスリップしていきそうな不思議な感覚さえ覚えます。
毎回、訪れる度に早く本堂に行って薬師如来さんや十二神将さんに会いたいと急いでしまい、境内や周辺の写真を取ることさえ忘れています・・・・そんなわけで、写真は残っていません。悪しからず!
春日大社
境内の灯籠は、全部で3000基とか・・・ 「鹿手水所」・・・ここも神の使いの鹿さん 南門(現在は正門) 高さは12mとか
中門・・・この先に本殿があるらしい 回廊にぎっしり並んだ灯籠 手水屋(重文) 夫婦大黒社を祀る
ものすごい数の灯籠が並ぶ長い参道の先に春日大社の南門が現れます。平城京の守り神として信仰され、明治の神仏分離令が出るまでは興福寺と一体だったようです(奈良公園の、この春日大社も興福寺の境内だったそうですが・・・・)。奈良の鹿さん・・・・春日大社のお使いだそうで、大切にされているのですね。
最初に訪れた時、何も知らないTANUKI は「中門」が本殿だと思っていました。しかし、次に訪れた時に「特別参拝」という案内板を見つけ・・・・拝観料を払って回廊と中門まで行かせてもらい、初めて中門の奥に本殿があることを知りました(我々は見ることも許されないそうですが・・・・)。回廊にぎっしり並んだ釣灯籠は見事でした。室町時代から多くの有名人が奉納したものだそうです。
境内の「夫婦大黒社」をスタートゴール(?)とする「若宮十五社めぐり」にもチャレンジしてみました。各神社や遥拝所に玉串札を納め、十五社満願を果たしたら夫婦大黒社で満願達成の御朱印がいただけました。
氷室神社
奈良国立博物館の道路を挟んだ向かい側にありますが、何度も何度もその前を通っているのに・・・・とても申し訳ないことに「鳥居があるな・・・・」という感覚しかありませんでした。
氷の神様だそうです。行ってみると、外からは想像できなかったのですが、広い境内でした。ただ、訪れた時・・・・鳥居をくぐるまではよかったのですが、その先で、奈良公園同様、彼の国からの観光客が多く・・・・あの人たち、全く宗教的に真逆だと思うのですが・・・・あまりの騒々しさに辟易してしまい写真は残っていません。
写真がないので・・・・御朱印と奈良公園のシカさんを載せました。ごめんなさい!
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