TANUKI夫婦の古社寺巡り 佐保・佐紀路の古社寺
 奈良 佐保・佐紀路の古社寺
この5ヵ寺を訪れたのは、まだ奈良の古刹巡りを始めたばかりの頃です。
まだ、奈良の交通事情はもちろん、仏像についても知識が浅く(今でも深くはありませんが・・・・)、どこにどうやって行けば良いのか全く分からない状態でした。そのため、この5ヵ寺については観光タクシーに案内をお願いしました。
とても効率よく案内して戴き、またお寺の由来や仏像についても詳しく説明していただきましたが・・・・脳内の記憶容量が少なく、処理速度の遅い旧式コンピュータのようなTANUKI夫婦にとっては、記憶のメモリーに書き込む前に次の情報が・・・・という状態で、あとで思い返してみると、ほとんど記憶メモリーからオーバーフローしています。写真を並べてみても「あれ?これはどこだったけ?」といった状態です。
やはり、古刹は・・・・自分の足で歩き、そして静かな気持ちで仏像と向き合うことが大切なんだと実感しました。
また、いつか・・・・元気で体力の残っているうちに、自分の足で訪れてみたいと思っています。
不 退 寺
不退寺 本堂(重要文化財) 石棺 ウワナベ古墳近くで発掘・・・
金龍山 不退寺(ふたいじ) 真言律宗 本尊:聖観音(業平観音とも呼ばれている) 正式寺号は不退転法輪寺

本尊は、在原業平が刻んだと言われる聖観音・・・・もともと、ここは平城天皇が譲位(809年)して「萱の御所」という屋敷を造り、その後平城天皇の孫にあたる在原業平が住んでいたが、そこを寺に改めたと縁起が伝えているそうです。そのためか、本堂の外観はお寺と言うより貴族の屋敷風なんだとか・・・・。ただし本堂は鎌倉時代に再建された物のようです。
で・・・申し訳ないことにTANUKIの頭のメモリーには、お寺の印象がほとんど残っていません。残っているのは、奈良の中心部をちょっと離れただけで、何とも静かと言うか寂しいというか・・・・そんな印象のお寺だったってことと、ご住職さんが庭やお花の手入れをよくしておられるのだなと感じたこと。境内に置いてあった何か場違いの石棺(平塚古墳から幕末に出土したものだそうです)ぐらいでしょうか。やはり、自分の足で訪ねてないせいでしょうか?
海龍王寺
海龍王寺 本堂 海龍王寺 西金堂
佐保山 海龍王寺 真言律宗 本尊:十一面観音

藤原不比等さんとその娘の光明皇后さんの邸宅跡の北東隅に造られたお寺だそうで、別名を「隅寺(すみでら)」とも呼ばれているようです。
訪れた時、ちょうど十一面観音さんの特別開帳でした。とても細かい策が施された美しい観音さんでした。西金堂内には、天平時代の建築技法で造られた五重の小塔がありました。塔の建築様式の歴史を知る上で大変貴重な物だそうです。
奈良時代の遣唐使の航海安全を祈願したお寺で、本堂には各地の海水をガラス瓶に入れ、並べられていました。海龍王経に描かれている海龍王に航海の安全を祈ってるとか・・・信仰心のないTANUKIは・・・この海水・・・全国から届けられるってことだけど、わざわざ持ってくるのかな?それとも宅急便?なんて不遜なことを考えていました。ms.TANUKI は「海水を置いてある壇の埃が気になった・・・・」と言ってました。やっぱり、中心部からちょっと離れると観光客も少ないのでしょうか。
ま、それにしても信仰心のないTANUKI夫婦の考えることは・・・・。
法 華 寺
法華寺 赤門(東門) 法華寺 本堂 法華寺 護摩堂
法華寺 光明宗 本山 本尊:十一面観音 古い時代の寺院で山号はない 奈良時代には日本の総国分尼寺だった

聖武天皇さんが東大寺と全国に国分寺をつくられたと同様に、光明皇后さんによって父親の藤原不比等の屋敷跡に造られた総国分尼寺とのことです。平安遷都後、衰退したのを豊臣秀頼の母淀君によって再興されたそうで、本堂はその時、桃山時代に再建された和様の仏殿だそうです。ご本尊の十一面 観音〔国宝〕さんは、光明皇后さんがモデルと言われているようですが、残念ながら訪れた時は公開されていませんでした。
光明皇后さんが施浴されたという浴室(からふろ、明治に再建)は見ることができました。現代のサウナのような物のようです。そう言えば、TANUKI の巣の近くには俊乗房重源さんが東大寺の用材を切り出した時に施された石風呂があちこちに残っていますが、昔はこのようなサウナだったのでしょうね。
秋 篠 寺
秋篠寺 本堂 秋篠寺 金堂跡 コケがきれいです 秋篠寺 大元堂
秋篠寺(あきしのでら) 単立の寺院 山号はなし 本尊:は薬師如来 伎芸天像と本堂は国宝に指定されている

昔の平城京からも外れた「秋篠」の地にある雑木林に囲まれたお寺で、本堂には本尊の薬師如来さんをはじめ多くの仏像が安置されています。その中で一番有名なのが、作家の堀辰雄さんがミュウズの像と紹介している「伎芸天」さん。諸技諸芸の守護神と崇められているそうですが、とても優雅な姿でした。
あと、いろいろと案内していただき説明していただいたのですが・・・頭の内部メモリーがとても少ないTANUKI夫婦ですから、オーバーフローしてしまったようで・・・・申し訳ないことに記憶に残っていません。
西 大 寺
西大寺 愛染堂 西大寺 本堂 西大寺 東塔跡 立派な石垣が・・・
勝宝山 西大寺 真言律宗 総本山 本尊:釈迦如来
奈良時代の寺院には山号がないので、この山号は後になって付けられたものと思われる

観光タクシーの運転手さんから「もう少し時間がありますが、どこか行きたいお寺は?」と尋ねられ「西大寺」と言った「え〜、西大寺ですか〜・・・・なぜです?」と怪訝そうな顔をされました。「東大寺に対して西大寺なのでは・・・・当時は大寺だったんでしょう?」「はあ、まあそうなんですけど・・・・」と何か渋々連れて行ってくれました。
確かに奈良時代は東大寺と並ぶ大寺で、南都七大寺の1つだったようですが、平安時代には衰退し一時は興福寺の支配下に入っていたようです。鎌倉時代に叡尊さんにより復興したようですが、室町に入って火災や戦乱で再び衰退したようです。江戸時代になって江戸幕府から寺領を認められ、やっと今の形に復興したようです。五重の塔の跡など立派な礎石は残っていましたが、奈良の他の古刹に比べると、やはり新しいという感じでした。観光タクシーの運転手さんの言われたことに大いに納得しました。