TANUKI夫婦の古社寺巡り 奈良 葛城・橿原・明日香・吉野の古社寺
 奈良 葛城・橿原・明日香・吉野の古社寺
當 麻 寺
當麻寺 仁王門 正面が本堂(曼荼羅堂)、左は金堂 中将姫の像         東塔
二上山 當麻寺(たいまでら) 真言宗・浄土宗二宗の寺院 本尊:当麻曼荼羅(創建時の本尊:弥勒仏(金堂))

當麻寺のある近鉄「当麻駅」は普通電車しか停まりません。大阪方面から快速で行くと、途中で乗り換えの必要があります。駅から當麻寺までの参道は、両側に黒漆喰の立派な家が並んでいました。この参道沿い、きっと昔は賑わっていたことと思います。古い立派な家の瓦には、それぞれのお宅に七福神さんが乗っていたのが印象的でした。
當麻寺は、立派な伽藍が並んでいました。でも、伽藍配置はなんか変! 三重の塔が2基、伽藍の横にそびえてる。お寺の歴史によると 612年に草創されたお寺を 681年に當麻寺として造営したそうで・・・その後、中将姫さんが作られた曼荼羅を本尊としたので配置が替わってるとのこと。なるほど・・・・金堂を中心としたら、納得がいきます。三重塔は創建当時そのままだそうです。このお寺は2つの宗派(真言宗と浄土宗)が同居してるとのことでした。
本堂(曼荼羅堂)で御朱印を頂きに行ったら、受付におられた若いお姉さんが、TANUKI の朱印帳を見て「高野山のお帰りに来られたんですね」と、うれしそうな顔をして、わざわざ金堂や講堂を案内してくださいました。御朱印帳のお陰ですね。
鎌倉時代に再建されたという金堂のご本尊さんは弥勒如来さんでした。薄暗いお堂に日本最古の塑像という弥勒さんが・・・・長い歴史を感じる趣でした。
帰りに駅前で「中将餅」のお店を発見しました。そう言えば、以前TVで紹介されてたお店・・・・早速買って電車の中で食べました。
とても美味しいお餅でした!
橿原神宮
橿原神宮 橿原神宮 表参道 橿原神宮 外拝殿
日本の初代天皇、神武天皇を祀る神社・・・とのことですが・・・TANUKI は、この手の歴史というか伝説には興味がありません・・・・神話としてはおもしろい(!)と思いますけど。そもそも、その時代に「日本」とか「天皇」という呼び方はなかったわけで・・・・すべて後付けですよね。古事記(ふることふみ)ができたのも、ずっと後の和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたと書かれていますが、その序は天武天皇が書いていますし・・・・ま、いずれにしても、そのあたりの時代から今の日本の形になったってことですよね。ついでに、アマテラスは持統天皇がモデルという説もありますしね。
ま、そんなことは・・・ちょっと脇に置いて・・・橿原神宮は、さすが境内の広い大きな神社でした。訪れたのは平日なのに、なぜか七五三のお参りの方がたくさんおられました。その時は「?」だったのですが、帰ってから、倭姫(やまとひめ)命の御鎮座の日(祭)だったと知りました。全くもって・・・・信仰心のない者は・・・・こんなものですね。
飛 鳥 寺 ( 安 居 院 )
飛鳥寺(安居院)正門 ご本尊の釈迦如来(飛鳥大仏)さん 素敵な仏像です!
現在の飛鳥寺西門 西門跡から眺めた飛鳥寺 蘇我入鹿の首塚
鳥形山(とりがたやま) 飛鳥寺(あすかでら) 真言宗豊山派 本尊:釈迦如来(通称「飛鳥大仏」)
現在の正式名称:安居院 なお、古代の寺院には山号はないので、山号は後世付けられたものと考えられる 「鳥形山」は寺の北東、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)のある山

飛鳥寺は蘇我馬子が建立した寺院で、複数の呼び方があるようです。法号は「法興寺」または「元興寺」(がんごうじ)で、平城遷都とともに平城京に移った寺は「元興寺」。蘇我馬子が建立した法興寺中金堂跡に今も残る小寺院の公称は「安居院」(あんごいん)といろいろ複雑なようで・・・・「日本書紀」では「法興寺」「元興寺」「飛鳥寺」などと表記されているとのことです。一般的にはそれらを含め明日香に残る寺を「飛鳥寺」と呼んでいるようです。
飛鳥寺を最初に訪れたのは2011年、東日本大震災の年でした。それ以来、TANUKI 夫婦は2人とも飛鳥寺の大仏さん(釈迦如来さん)が大好きになりました。日本最古の仏像でお顔は異国の雰囲気なのですが・・・飛鳥寺の焼失とか、いろいろな災難も乗り越えて1000年以上じっと世の中を見てこられたんですよね。お顔にも痛々しい傷跡が残ってます。うまく言葉で説明できないのですが、お釈迦さんの前に座って、じっと見てると、包まれるような不思議な気分になります。もう1つ、この仏さんの素晴らしいことは、写真を撮らせてもらえることです。どうぞご自由に写真を・・・・と言ってもらえるのは、ここ飛鳥寺と東大寺の大仏殿しかTANUKI は知りません。
こんなこともありました・・・・飛鳥大仏さんの前でご住職の案内(お寺の説明)を聞いていた時のことです。堂内には我々夫婦のほかに、同じような年代のご夫婦(ここ飛鳥寺を訪れるバスで一緒でした。聞こえてきた会話の内容からして、おそらく初めて明日香に来られたようです。)と2人連れの女性がおられました。お坊さんの説明を聞きながら、カメラバックからカメラを取り出して・・・・パシャリと1枚(もちろんストロボはオフです)。その瞬間、周囲に凍り付いたような空気が・・・・そして「おまえは何だ!」と言うような鋭い視線が。そうですよね・・・・普通、絶対にやっちゃいけないことですよね。ご住職さんが説明の最後に「写真を撮られても構いませんよ。どうぞ仏様とご一緒にお写りください。」と言ってくださり、一気に凍った空気が溶けました。そして、みなさんカメラを構えておられました。お釈迦さん、何か笑っておられるような気がしましたが・・・・気のせいかな?
西門跡のすぐ先に蘇我入鹿の首塚があります。この南側に飛鳥板蓋宮があったようで・・・・今は周囲には田んぼが広がって日本の原風景のような感じですが、昔はここに都があったことを思うと・・・・タイムマシンで時間を巻き戻してみたいような気持ちになります。
橘 寺
仏頭山 橘寺(たちばなでら) 天台宗 本尊:聖徳太子 寺の正式名称は「仏頭山上宮皇院菩提寺」

聖徳太子の生誕地と伝えられているお寺です。このお寺へは、最初に明日香を訪れた時、レンタサイクルで明日香を巡る中で訪れました。ただ、明日香の史跡などを余り詳しく予習(?)してなかったので・・・・あっちへウロウロこっちへウロウロ状態で、ここにたどり着いた頃には疲れ果てていました。
・・・・と言うわけで、申し訳ないことに「行ったよな〜」ということ以外、ほぼ印象に残っていません。実はこの後、石舞台や明日香民俗資料館、飛鳥資料館などを回り橿原神宮駅に戻りました・・・・疲れ果てて、やっぱりレンタサイクルで格好良くと言うのは、我々のような高齢者夫婦には向かないのだと実感しました。次に行く時は・・・・路線バスかレンタカーにしましょう!
金峯山寺
仁王堂(国宝) 改修工事中でした 金峯山寺 蔵王堂(国宝) 吉水神社から蔵王堂の眺め
国軸山 金峯山寺(きんぷせんじ) 金峯山修験本宗(修験道) 総本山 本尊:蔵王堂に安置される蔵王権現立像3躯
本尊は普段、非公開(秘仏)であることから「日本最大の秘仏」と呼ばれている

近鉄吉野駅からは日本で一番古いロープウェイ。誰かが乗り降りするたびにぐらぐらと揺れる・・・・鉄塔の滑車がカタカタと変な音がして、ちょっと怖い感じはしましたが、何か、これはこれで素敵な感じでした。ロープウェイを降りて、山道を登って金峯山寺へ。
仁王堂は改修中でしたが、大きな仁王さんが出迎えてくださいました。でっかい!高さ5m(中尊は7m)とのこと。蔵王堂も大きい! これまた、東大寺大仏殿に次ぐ大きさとか・・・・。この日は特別拝観中だったので、チケットを買って蔵王堂の中へ・・・・。堂の中に3体の青色の大きな蔵王権現さんが・・・とうとうお会いできました。この権現さんの本地仏(本来の姿である仏様)は 釈迦如来さん、千手観音さん、弥勒菩薩さんで、過去、現在、未来の三世にわたる衆生の救済を誓って現れたお姿とのことでした。蔵王権現さんの前に座って、じっと見上げてると、激しい忿怒相なのですが・・・・なぜか、とてもやさしいお顔に見えてきました。
御朱印を頂きに行ったら、ややご高齢の団体さんがぞろぞろと・・・・。添乗員さんと思われる若いお兄ちゃんが、分厚い御朱印帳を山のように積み上げて持ってきてました。「すごい厚さの御朱印帳・・・それにすごい量・・・」と感心してたら、御朱印を書いてくださってるお坊さんが「ここで売ってますよ。130ページあります。末社末寺を全部廻られるんです。3年かかりますけど・・・・。」とのことでした。その側で、女性の添乗員さんが団体のおじいちゃんおばあちゃんの方に向かって「早く、早く・・・本堂にあがって・・・懺悔して来て!」と、大きな声でキーキー怒鳴ってました。御朱印を頂いて「懺悔?私も懺悔しなければ・・・・。」と何となく言ったら、お坊さんが笑いながら「懺悔って、何かご存じですか?」と言われたので、「懺悔って、反省するってことですか?」って答えたら、すごく丁寧にいろいろ教えてくださいました。なるほどと納得したのですが、それを改めて説明するのは・・・・信仰心のないTANUKI には難しいのですが・・・・まずは、自分のご先祖様の罪を悔いる。自分が今生きてると言うことは、ご先祖様が他を殺めている。なぜなら、昔は強い者だけが生き残ってきた。弱い者の犠牲の上に生き延びてきた。今、自分がここにいることができてるということが・・・・つまりは、ご先祖様の深い業を背負って生まれ来ているということ。だから、まずご先祖様の罪をお詫びする。そして同時に、自分の孫やひ孫の代までの安穏をお願いする・・・・と、ざっくり言うとこんなことだったかな?いつも思うことですが、御朱印って単なる参拝記念のスタンプではありませんね。何らかのお話を聞くことができます。もちろん、TANUKI は今回も、しっかりと御朱印を頂きました。
吉水神社
京都を追われた源義経が弁慶や静御前と5日間身を隠したとか、南北朝の時代、後醍醐天皇が一時居所としたとか、豊臣秀吉が吉野の花見の本陣にしたとか・・・・いろいろと歴史に登場する場所のようです。もともとは金峯山寺の僧坊だったようですが、明治の神仏分離によって神社となったとのことです。神社と言うよりは書院か僧坊といった造りで、後醍醐天皇の者と伝わる品や当時の調度品などが展示してありました。
《 吉野での雑記 》
訪れた時は桜の季節ではなかったので、とても静かでした。参道のお店で「草餅」を食べて「桜の季節はすごいんでしょうね・・・・?」って聞いたら「シーズンになると、この参道も人がいっぱいで・・・・気分が悪くなったって人がたくさん出るほどですよ。今年も、お昼前にこちらに着く予定の団体さんが、あまりの人の多さで、着いたのが3時過ぎだったっとか・・・・そのような笑えない話がたくさんありますから。」とのこと。やっぱり桜の季節には、人混みが苦手なTANUKI には無理みたい!