TANUKI夫婦の古社寺巡り 南九州(熊本・宮崎・鹿児島)の古社寺
 南九州(熊本・宮崎・鹿児島)の古社寺
 南九州を旅すると神社ばかり目に飛び込んできます。薩摩は一向宗(真宗)を禁じ、激しい弾圧を明治になるまで続けていますし、国学思想を持つ島津久光・・・だったと思いますが・・・は廃仏毀釈を行い、由緒ある寺院を廃寺としたとのことですから、鹿児島でお寺を見かけないのは「なるほど」と納得できます。
 宮崎は「天孫降臨の地」だそうで・・・ま、伝説・伝承は大切にしましょう!・・・神社ばかりかなと思うのですけど、神社庁が出している統計資料によると、神社が少ない都道府県ランキング(2019年)によると、第1位は沖縄県で次に和歌山県、宮崎県、大阪府、山口県と続きます。ま、この手の統計ってのはどうなんでしょう?・・・・ここは、人口比で比較するべきだとTANUKIは思いますけどね。
 熊本はお寺が多いそうですが・・・・熊本県で、TANUKIが何度も足を運んでるのは」阿蘇」周辺だけですから、何とも言い様がありません・・・・ま、TANUKIの感覚では、南九州は神社というイメージです。
阿蘇神社
阿蘇神社 楼門 (国指定 重文) 阿蘇神社 拝殿 阿蘇神社 神殿
阿蘇を訪れる時、泊まる宿は・・・・最近は南阿蘇に泊まるのがお気に入りになっていますが、以前は内牧でした。そして、必ずコースに「中岳火口」「草千里」「阿蘇神社」を含めるのがTANUKI 夫婦の定番でした。
2016年(平成28年)4月・・・・国内で観測史上最大、震度7の地震が熊本県から大分県にかけて発生し、阿蘇神社も甚大な被害が・・・・あの勇壮な楼門もぺしゃんこに崩れ、拝殿も倒れ、今まで社殿(拝殿)の向こうで見ることさえできなかった神殿が表に出ていました。
地元の方にお話を伺いましたら「神社の再建は、楼門などは国の重文なので補助があるけど、拝殿は補助金も出ないので・・・・でも、神殿が表に出て、神様が近くに来てくださった気がします。みんなで再建に努力しています。」と話してくださいました。
青井阿蘇神社
青井阿蘇神社 参道 青井阿蘇神社 楼門 青井阿蘇神社 拝殿
人吉の青井阿蘇神社・・・・萱葺きの堂々たる楼門が印象的な神社です。神社の説明によると、阿蘇の原野を開拓し、その守り神として阿蘇山のふもとに鎮まる阿蘇神社の御祭神十二神のうち、三柱の神様を分霊してお祀りしたとのことです。人吉球磨地方の開拓の守護神として祀った神社のようです。
阿蘇神社は地震により甚大な被害を受けましたが、この青井阿蘇神社の地も 2020年の記録的豪雨のため球磨川やその支流が氾濫し、建物や橋梁の流失など大きな浸水被害が発生しました。また、この水害でも多くの人命が失われました。
TVのニュースで球磨川が氾濫してる様子を見ました。 2015年に泊めていただいた国の登録有形文化財に指定されている「人吉旅館」が天井まで水に浸かった様子と、とても親切に接客していただいた女将さんのお姿が映っていました。また、その時に目にした人吉や肥薩線沿線の風景が濁流に呑み込まれている様子も・・・・言葉を失いました!
人吉球磨地方には、以後訪れていませんので、その後の様子は分かりませんが・・・・昔の静かな美しい町並みや風景が戻りますように祈っています。
天岩戸神社
天岩戸神社 西本宮 天岩戸神社 東本宮 天安河原(あまのやすがわら)
学生時代、「神楽」の研究のため、高千穂は何度も訪れています。約40年ぶりに訪れて・・・・当然のことですが、あまりの変わりように浦島太郎状態でした。ニュースで知ってはいましたが、高千穂線が水害のために廃線になっていました。車で行くには・・・・昔は、延岡から五ヶ瀬川沿いに、落石注意の看板におびえながらワインディングロードを走っていました。でも今回・・・・谷底ではなく山の上を国道218号線なる道がまっすぐに伸びていました。道の途中、立ち寄ったガソリンスタンドでお兄ちゃんに「良い道ができたんだね〜」と言ったら、不思議そうな顔をして「この道、私が生まれた時にはできてましたけど・・・・」だそうです。
天岩戸神社も、昔に比べて何かきれい。東本宮や天安河原は、昔のままの感じでしたが、そこに至る道はえらくきれいに整備されていました。天安河原に行く川沿いの道は、岩がむき出しで歩きにくかった思い出があるのですが・・・・きれいに舗装されていました。
「天岩戸」は、別途参拝料が必要で、撮影厳禁とのこと・・・・。ちょっと昔の記憶が定かではないのですが・・・・天岩戸は、もっと近くで普通に見たような・・・・それが「天岩戸」だったかどうかさえ不確かな記憶なんですが・・・・。
宮崎神宮
宮崎神宮 参道 深い森の中に神社があります 宮崎神宮 神門
県都宮崎市のほぼ中央、広大な静かな森に囲まれた地に「神武天皇」を祀る宮崎神宮があります。昔は、神宮の森と競うように宮崎大学の敷地がありました。特に農学部は、町のど真ん中に実習用の水田や農場を持っていました。現在、大学は移転し、名前は同じですが、校章も校歌も違う全く別の大学に生まれ変わっています・・・・ということで、宮崎神宮だけが、ちょうど京都の御所や東京の皇居のように、町の中心部に深い森に囲まれて鎮座しています。
宮崎神宮を訪れたのも50年ぶりになります・・・・大学がなくなり、跡地に県立芸術劇場や図書館などが建ち、周囲の風景は大きく変わりましたけど・・・・神宮は昔と同じようにそこに。神社そのものもですが、昔よく訪れていた藤棚も同じようにありました。今はもう無くなったんだそうですが・・・・4月に「藤まつり」がありました。別名「けんか祭り」と言っていたような記憶があるのですが・・・・。
藤棚に限らず、いつも変わらずそこに・・・・と言うのが古社寺の素晴らしいところなのかも知れませんね。
青島神社
砂州を渡って青島へ 青島神社 参道は砂 島の周囲 鬼の洗濯岩
青島神社を訪れたのも、ほかの宮崎の神社と同様、約50年ぶりです。ただ、青島へは、ms.TANUKI の恩師のお宅に伺うのが主目的でした。先日亡くなられた恩師のお宅にご挨拶がしたいと伺ったのです。
宮崎空港に着いて、宮崎名物のマンゴージュースを飲んでからレンタカーを借り、青島の恩師のお宅に直行しました。ご挨拶を済ませてから青島神社に行ったのですが・・・・訪れた日は、南国宮崎を象徴するように、抜けるような青空でした。真っ青な海にどこまでも続くような水平線が、青空とのコントラストを織りなし・・・・まさに南国宮崎に来た〜という感じでした。
青島の入り口に、南国の花の植物園がありました。ブーゲンビリアがきれいな花を咲かせていました。青島に渡る砂州も、周囲に広がる奇岩(?)「鬼の洗濯岩」も、そして青島神社の境内の亜熱帯性植物「ビロウジュ」も昔のままでした。ただ、昔は参道でもある砂州にお土産屋さんがずらりと並んでいました・・・・貝殻なんかも売ってましたよね。あのお土産屋さん・・・・みんな辞めちゃったんでしょうか? あと、びっくりしたのは・・・・御朱印をいただきに行ったら「うちは、青島神社と弁財天の御朱印が2枚セットです!」とのこと・・・・つまり料金も2倍!これって、商売上手?
鵜戸神宮
鵜戸神宮 楼門 鵜戸神宮 本殿 眼下に奇岩・・・手前に霊石亀石
宮崎市内のホテルからレンタカーで日南海岸へ。宮崎市街からの道は、昔とずいぶん変わってました。でも、日南海岸は昔とあまり変わってないような感じでしたが・・・・昔は「堀切峠」を通る道が国道220号でした。今はバイパスができて旧道になっていました。うっかり通りすぎるところでした。そう言えば、昔、サボテン公園ってのがありましたね。鵜戸神宮の手前にはモアイ像がずらりと並んだ施設ができていました。なんで日南にモアイ像??
日南海岸には、伊勢エビの看板の店があちこちにありました。日南海岸の名物ですからね。やっぱり伊勢エビだよな・・・・と1軒の店に飛び込みました。 いや〜!美味〜!! お値段は、確かに少々お高めだけど・・・・。
で、お目当ての鵜戸神社。山幸彦・海幸彦の伝説の神社ですが・・・・ここは昔のまま、というか・・・・もちろん、40数年間、何も変わっていないはずはないのですけど・・・・それでも、昔と同じような風景(?)があるというのは、ほっとするというか・・・・うれしいですね。
あ、そうそう、ms.TANUKI は運玉を見事に亀石に入れました。神様もきっと、よく来たと歓迎してくださったんでしょう・・・・。きっと良いことがあるよ!
霧島神宮
霧島山系、高千穂峰の麓にある神社です。神社の説明によると・・・・古事記、日本書紀に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が「筑紫日向(つくしのひむか)の高千穂の久士流多気(くしふるたけ)に天降あもります」とあるのが高千穂峰で、霧島神宮は、その瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を主祭神として祀ってるとのことでした。
霧島神宮本宮は、高千穂峰と御鉢(噴火口)との間にあったそうですが、噴火のために 炎上。村上天皇の天暦年間(・・・950年頃ですかね)高千穂河原に再興したようですが、文暦元年(1234年) の噴火で焼失。他の場所に移された後・・・250年後の1484年に現在の地に再興されたようですが、別当寺からの失火により全焼し、1715年に第21代藩主の島津吉貴公の寄進で再建されたそうです。
ということで、現在の社殿は、約300年前の建物なんだそうです。
霧島連山は・・・・宮崎県側は、えびの高原とか何度も訪れていますし、韓国岳(からくにだけ)には登ったこともあるのですが、鹿児島側へは初めて訪れました。宮崎からレンタカーを使って行ったのですが・・・・途中、御池(みいけ)とか、昔訪れた懐かしい場所で時間を取り過ぎてしまい、霧島神宮に着いたのはもう夕方でした。予約したホテルまで行く時間も必要なので・・・・急いで参拝し、御朱印を頂くのが精一杯でした。次の日は、宮崎空港に戻り・・・・飛行機の予約の関係もあり、ゆっくりできなかったのが残念です。
蛇足ですが・・・・神社の御朱印、TANUKI がいただいた神社は一般的に「失礼ながら・・・・もう少し字の練習したら!」ってのが多いように感じます。やっぱりお寺は「さすが!」という書き慣れた字とデザイン(?)が多いですね。もちろん、神社にも「すごい!」と思わせる御朱印もあるのですが・・・・。
高千穂河原
高千穂河原(旧霧島神社跡) ミヤマキリシマでピンクに染まる高千穂峰
神社に加えて良いのか、ちょっと迷いました。かつて霧島神宮があった跡で古宮址(ふるみやあと)と呼ばれているようです。霧島神宮の説明にあったように・・・・最初、霧島神宮は天孫降臨の地と伝承されている高千穂峰と御鉢の間にあったそうですが、御鉢の噴火で焼失。その後、高千穂河原に移されたようです。しかし、ここも1234年の噴火で消失したとのこと。
ちょうど訪れた時、ミヤマキリシマが満開でした。高千穂峰もピンクに染まっていました。駐車場のおばさん(失礼!お姉さん・・・・)が「今が一番べっぴんしゃん・・・・」と言っておられましたが・・・・まさにぴったりの言葉でした。