懐かしい宮崎へ
     2010. 5.14.〜17. 懐かしい宮崎に行ってきました
「田の神さあ」に会えました 加久藤峠のループ橋・・・えびのSAから見えました
宮崎 橘通りのフェニックス・・・えらく背が高くなっていました 宮崎神宮にも・・・この周辺も、ずいぶん変わってしました
川南にて・・・脇道の入り口は、どこもまっ白でした・・・ 高千穂峡に・・・ボートは規制中で、ここまで・・・
天の岩戸神社・・・東本宮の「天のうずめの命」の人形 竹田に抜ける途中、石のアーチ橋に出会いました
リタイアの記念に・・・40年ぶりに宮崎へ・・・

 リタイアして、まずしたかったこと・・・都城に行くこと! TANUKI の大学時代の先輩にご挨拶すること。実は、その先輩、5年前にお亡くなりになりました。お葬式にも行けなかったので、リタイアして時間ができたら、まず・・・と、ずっと思っていました。
 先輩には申し訳ないけど、そのついでにTANUKI とms.TANUKI が学生時代を過ごした宮崎へ・・・。そして、ms.TANUKI が昔住んでた延岡に・・・40年ぶりに行ってみたい。

 やっと夢(?)がかないました。高速道路をひた走って都城へ。宮崎県に入った途端に、昔のいろいろな思い出がよみがえってくるものですね。確か、鹿児島・熊本との県境あたりの高速道SAに「田の神(かん)さあ」の像があったはず・・・と、思い出して探してみました。えびのSAでやっと会えました。しかも、そのSAで、見上げた先に「加久藤(かくとう)峠のえびのループ橋」が・・・。
懐かしい風景・・・。ループ橋の反対側に広がる韓国(からくに)岳や高千穂の峰も迎えてくれたような気がします。
 都城では、先輩の奥様にお会いすることができました。懐かしかったです・・・。「行かなきゃ・・・!」という強い思いが叶い、ほっと肩の荷が下りたと同時に・・・昔がよみがえり、楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

 宮崎も・・・延岡も・・・あまりの変わりように、ただただ唖然・・・でした。40年という時間の重さを改めて感じた旅になりました。
道路もすっかり変わってるし・・・あちこち歩き回ってみましたが、町並みもすっかり変わってしまってました。宮崎の中心地、橘通りのフェニックスもずいぶん背が高くなってました。昔は、アーケードよりちょっと高いぐらいだったのに・・・。
こういうのを・・・浦島太郎状態って言うのでしょうね・・・。

 宮崎の橘通りで、学生時代によく行った喫茶店と同じ名前の店を見つけました。入ってみましたが、昔の面影はどこにもありませんでした。店の人に「この店、昔、通りの反対側にあったのではないですか?」と聞いてみたら「ここに移転して20数年・・・30年近くになります。よくご存じですね・・・。」「40年前の学生時代、よく行ってましたので・・・。」「それは・・・ありがとうございます。ずっと営業しててよかった・・・。」とのこと・・・感無量です。
 あ、そうそう・・・この旅行中、食事は地元のお店を訪ねて、その土地の名物(?)を食べ歩きました。「地鶏の岩塩焼き」「チキン南蛮」「冷や汁」「琉球」・・・高千穂の「ソバ」も「田楽」も・・・大分の「トリ天」も・・・いずれも懐かしく・・・おいしかったです!

痛ましいことです・・・心よりお見舞い申し上げます

 今回、心ならずも・・・通過させていただいた地点は「口蹄疫」で大変なところでした。まず都城で「消毒ポイント」の看板に遭遇しました。高鍋、川南、都農・・・いずれも、コンビニやガソリンスタンドなど人の出入りがある所は入り口が石灰でまっ白か、消毒マットが敷いてありました。幹線道路から脇道への入り口はすべて石灰が・・・。
 ここまでして、なぜこんなにも感染が広がっていくのでしょうか? きっとTANUKI のような部外者がここを通り過ぎることすら罪なのでしょう・・・できるだけそっと通り過ぎさせていただきました。
 申し訳ないことですが、何もできないことに心苦しさを覚えながら・・・心よりお見舞いを申し上げたいと思います。一日も早くこの感染が終結してくれることを祈りながら・・・。

もどる