くじゅうの思い出 コスモス荘の思い出
コスモス荘の思い出
 TANUKI夫婦にとって、くじゅう連山登山の定宿でした。大学を卒業するまで付いてきてくれた息子たちも、小学校3年生から登山に付いてきたチビダヌキ(孫)も大好きな宿でした。
 歴代の支配人さんや従業員の方々(地元の方々でした)にとても親切にしていただきました。登山情報だけでなく地域のことまで、いろいろ貴重な情報いただきました。食事も豪華ではありませんでしたが、地元の食材をシンプルに調理した・・・・とても美味しい料理でした。「登山弁当」もちょっと塩気がきいて最高の味でした。
 ただ、とても古い国民宿舎で、どちらかと言えば山小屋的な雰囲気の宿でした。家族連れや登山客で賑わってはいましたが、トイレも洗面も共同で、時代の波からは取り残されていたような宿でしたので、解体され新しくフランス料理の宿になってしまいました。
 TANUKI夫婦にとっては、とても寂しい思いですが・・・・この宿で頂いた多くの方々との暖かい思い出を、ずっと大切にしていきたいと思っています。
懐かしい「コスモス荘」の入り口と玄関
南側には公営駐車場 賑やかでした 部屋は昔ながらのつくりでした コスモス荘のパンフレット 2005年
食堂・・・食事も地元の食材で美味しかった 頼めば外でバーベキューも! 解体されていました! 2011年撮影
コスモス荘との出会い
 TANUKIが、まだ若かった頃です。久しぶりに秋に休みが取れたので、紅葉を求めて九重に行きました。ワンボックスカーに布団を積んで車中泊で。とても美しい紅葉には出会えたのですが・・・・夕食は準備していませんでした。食堂ぐらい・・・・と甘い考えでした。当時、長者原周辺には食堂のような店は数軒しかなく、しかも夕方早い時間には閉店!(だって、誰もいなくなる・・・・)することを知りませんでした。閉店ぎりぎりに飛び込んだ店で訳を話し、やっと夕食にありつけました。その後、筋湯まで行って温泉に浸かり、長者原の公営駐車場(コスモス荘の南側にある駐車場で、当時、ビジターセンターや公衆トイレもここにありました)に車を駐めたのですが、夜になって急に雨と風が・・・・それもどんどん風が強くなってきて、車もぐらぐら揺れて眠れない・・・・ふと外を見たら、林の向こうに暖かそうな明かりが・・・・あそこは天国か?極楽か?
その日は結局、由布院方向に戻り・・・・山の陰を見つけて車を駐め、やっと眠ることができました。以来、九重に行く時は必ずTANUKIの見つけた極楽「コスモス荘」に泊まるようになりました。
コスモス荘での思い出・・・・その1
 コスモス荘に泊まっていると、朝・・・・さわやかな朝の空気を切り裂くように「ピンポンパンポ〜ン」と村の有線放送が、林の中のスピーカーから流れて来ていました。「○○さんのご葬儀は・・・・」というような超ローカルな放送でした。観光客が増えすぎた今はもうないとは思いますが・・・・何かほっこりした気持ちになれた懐かしい思い出です。

コスモス荘での思い出・・・・その2
 コスモス荘の階段や2階の廊下などに九重の素敵な風景写真が展示されていました。撮影者は佐藤さんと標示してありました
 秋も深まった日・・・・もう紅葉には遅いかなと思いつつ九重に行きました。コスモス荘に泊まって次の日の朝、なんと一面深い霧が。外に出ても何も見えない状態でしたので、あきらめてロビーで支配人さんお勧めの「名水コーヒー」を一人飲んでいました。すると同じようにコーヒーを飲んでおられた方がTANUKIのカメラを見て話しかけてこられました。カメラの話題で色々話しているうち、その方が何とコスモス荘に写真を展示しておられ、九重の写真集も出しておられる佐藤さんと分かりびっくり!
その後、九重の風景や山の撮影ポイントの話で大いに盛り上がりました。貴重な情報も色々教えてくださいました。感謝と感激の一時でした。しばらくして霧が晴れてきましたら、山の山頂部にはきれいな霧氷が広がっていました。

コスモス荘での思い出 いろいろな情報・・・・その1
 夕食後、支配人さんを交えて常連が集まって・・・・最近ミヤマキリシマが少なくなったね〜という話題に。「最近、ミヤマキリシマ少なくなった気がしない?」「原因はいろいろあるんだろうけどね・・・・登山道も、歩きにくいところはコースを外れて歩いてしまう登山客も多いので・・・・火山のもろい土だから崩れてしまうんだよね。そのためミヤマキリシマの根がむき出しになって枯れていく・・・・。」などと話していましたら支配人が「実はね・・・・ミヤマキリシマの株が、まだたくさん残ってる場所があるんよ。」「え〜っ? それどこ?」「指山。」「指山?あそこ登山道もちゃんとしてるの?」「うん、あるにはあるんだけど、直登だから急登なのよ。でね、今、このあたりのホテルの社長や支配人なんかが集まってね、みなさんに指山のミヤマキリシマを見てもらおうと新しい登山道を作る作業をしてるんだよ・・・・。」と熱く語ってくれました。
 後日談ですが・・・・この計画は、国立公園法で現状変更はできないということになり中止になったようです。この10年以上後、この話を思い出して登ってみました。詳細は2012年の近況報告にのせていますが・・・・当日は雨の中の登山となりました。指山自然観察路からの直登で、火山灰を練ったような登山道をよじ登りました。確かに山頂付近はミヤマキリシマの立派な株がたくさんありましたが、下りはさらに大変で・・・・滑ってころんでを繰り返し、タデ原に戻った時には夫婦そろって全身泥人形状態でした。

コスモス荘での思い出 いろいろな情報・・・・その2
 現在、長者原のやまなみハイウェイ道路沿いに大きな駐車場があります。昔は、あの場所は小高い丘でした。
コスモス荘のロビーでコーヒーを注文して、ひとりでボーッとしてましたら支配人さんが話しかけてきました。「うちの宿の前、やまなみの道路との間に小高い丘があるでしょう・・・・あの丘を削って駐車場を作ろうって計画があるんよ。どう思う?」「へえ〜、そうなんだ。ま、確かに最近は観光客の車も増えてきてるし、今の公共駐車場だけでは手狭ですよね・・・・。でも、あの丘には平治号のお墓がありますよね。どうするの?」「お墓は道の反対側・・・・タデ原側に移すらしいよ。それでね・・・・実は、そのことで村の会議に出て何か提案しなきゃならないんだけど、何かないかね〜?」「そうね〜、広い駐車場となると・・・・将来ゴミの問題が生じそうですね。」「なるほど確かにそうだね。ゴミ対策を考えないといけないね。」「私はゴミ箱を一切置かない方が良いと思いますけどね・・・・。」「どうして?ゴミ箱がなかったら、ポイ捨てが増えるんじゃない?」「私の経験ではね・・・・ゴミ箱があると、みんなが捨てて良いと思うんですよね・・・・ゴミ箱が溢れてる所って多いですよ。ゴミ箱がなければ捨てないですからね。多少はポイ捨てするような不心得者もいるでしょうけど、多くの人はゴミを持って帰ると思いますよ。」「なるほどね〜、ありがとう、会議で提案してみるよ。」
 今でも、長者原の駐車場にはゴミ箱はないはずです。みなさん、マナーを守っておられるようです・・・・。