くじゅうの思い出 すがもり小屋の思い出
 すがもり小屋の思い出
 TANUKI夫婦の「くじゅう連山」への登山は、息子たちが小学生から大学を卒業するまで一緒につきあってくれましたし、その後は孫を連れての登山でした。そのため、牧の戸からのルートが主でした。「すがもり」を経由することは少なかったのですが、そんなTANUKI夫婦にとっても「すがもり小屋」はくじゅうのシンボルだったと感じています。その小屋が壊され、何とも表現しづらい寂しい時間が過ぎていきました。
 愛の鐘は1962年1月、北千里浜で7名の方が亡くなるという遭難事故が発生し、遭難防止のため愛の鐘とケルンが設置されたと聞いています。愛の鐘も長者原のビジターセンターに置かれたままでした。
 新しい「無料休憩所」は避難小屋としては利用できそうにありませんが、前の小屋の外壁を防風壁にするなど、小屋はなくなりましたが以前の面影が残っているのはうれしいことです。愛の鐘も戻ってきました。特に冬場の北千里はホワイトアウトが起こりやすく、また硫黄山からの有毒ガスも流れ込む可能性のある危険な場所です。愛の鐘は、これからも「くじゅう連山」の安全を守ってくださると信じています。
1991年夏 小屋の周辺にテントを張る人も・・・すがもり小屋は賑やかでした 小屋で使っておられた包装紙
1993年 台風の爪痕がまだ残っていましたが、再建に努力しておられました 取り壊された小屋 1998年撮影
1998年撮影 取り壊された小屋 小屋の外壁を外壁にして昔の面影を残して再建された無料休憩所
2002年夏 撮影 愛の鐘も峠に戻っていました 懐かしい「すがもり小屋」グッズが・・・・
 写真の説明(すがもり小屋の思い出)
1991年(平成 3年) 8月 撮影 すがもり小屋は賑やかでした。小屋の周辺にテントを張ってる方もおられました。
この年の秋、台風19号で深刻な被害が出ました。
1993年(平成 5年) 8月 撮影 台風の爪痕はまだ残っていましたが、再建に努力しておられました。
1998年(平成10年) 8月 撮影 取り壊された「すがもり小屋」 寂しい時間が、ただ過ぎていきました。
愛の鐘も、麓のビジターセンターに置かれたままでした。
2002年(平成14年) 8月 撮影 無料休憩所として再建されていました 愛の鐘も戻っていました 
番外編ですが・・・・ 九重町田野 日帰り温泉施設を吉田さんの奥様が経営されていました
懐かしい「すがもり小屋」のグッズを販売しておられました。 1998年 8月 撮影
1995年(平成 7年)  10月11日 硫黄山噴火 すがもり小屋は閉鎖されました
1996年(平成 8年)  1月 経営者 吉田耕一氏が 急逝されました
 小屋の事業主体をめぐって紛糾し、再建計画は宙に浮きました
1997年(平成 9年)  営林署との借地期限が切れ、10月10日外壁を残して小屋は解体されました
1998年(平成10年)  県・九重町・久住町で小屋の再建が話し合われました
2000年(平成12年)  秋 無料休憩所として、同じ位置に再建されました
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