美祢線の思い出
美祢線の思い出
 TANUKI夫婦にとっての美祢線も、前述の日田彦山線と同様に「乗る鉄道」ではなく、美祢線沿いに車で走るときに「見る鉄道」でした。
 2021年6月・・・まだコロナ感染が収まらず・・・・コロナパンデミックのおかげで旅にも行けず、TANUKI夫婦のストレスも最高潮に達していました。「人混みは避けろ!」「県外には行くな!」と言われて、高齢者夫婦としては、やはり「県外に行って感染しました」ってのは格好が悪いし、「県外から来たの?」って白い目で見られるのも嫌だし・・・・でも、せめてどこかに行きたい!と考え、県内のローカル列車を乗り継いでみる計画を立てたのですが・・・・山口線の宮野以北、山陰線、美祢線・・・・これらの路線、とにかく便数が少ない! 1〜2時間に1本なんてのは、まだ良い方で・・・・山陰線の益田〜東萩など、昼過ぎの次の列車は夕方。利用者数と便数との負のスパイラル状態なのでしょうね。
 そんな中、山口線〜山陰線と乗り継いでやっとの思いで「長門市駅」に到着、山陰線を降りて美祢線のホームに・・・・キハ120 のジーゼルカーがやって来ました。さあ、美祢線の旅の出発です!
 車両は1両だけでしたが・・・・車内の座席はセミクロスシート、満席ではないものの結構お客は乗っていました。
 美祢線の風景で一番期待してたのは・・・・湯本温泉に星野リゾートが進出し、公衆浴場「恩湯」が新しくなって、温泉街の川沿いを中心に「そぞろ歩き」ができる場所が整備されるなど温泉街のリノベーションが進んでいるという話を聞いていましたので、そんな風景が見られるかなと期待したのですが・・・・線路は温泉街の裏側を走っているようで、旅館のごちゃごちゃした裏側しか見えませんでした。残念!
 しかし、美祢線に乗車するのは初めてですが、この区間は車では何度となく走っています。その見慣れた日本の原風景のような景色を列車の車窓から眺めると、また違って新鮮に見えるものですね。
 ただ、ちょっと意外に思ったのは・・・・長門市駅を出て終点の厚狭駅まで、誰も降りず誰も乗ってこなかったこと。もう1つは、長門市駅も厚狭駅も、それなりの人の流れがあったのですが・・・・美祢線の中心のはずの美祢駅には、駅前を含めて人の姿がなかったこと。もちろん、コロナ感染の中でしたし、時間的なものもあるのでしょうけど・・・・前に乗った日田彦山線を思い出してしまいました。

 予感は的中! 2025年、残念ながら・・・・日田彦山線と同様に水害の後、廃線となり、BRT路線となってしまいました!
長門市駅・・・美祢線のスタートです 車両は、キハ120型 1両編成でした 「長門市駅」から終点の「厚狭駅」へ
温泉で有名な「長門湯本駅」 車窓から温泉街が・・・と思ったのですが 英谷山荘・・・長門湯本の有名旅館です
沿線は、ずっと原風景(?)が続いています! 道の駅「おふく」
道の駅にある温泉「おふく温泉」 「於福駅」・・・これも読みにくい地名ですね 一応、美祢市の中心なのですが・・・
美祢市駅前・・・何か寂しいですね 見にくいですが、列車は1〜2時間に1本 四郎ヶ原 ここにも伝説があるようです
四郎ヶ原駅のホームに石碑が・・・ 「あつ」と読みます 難読地名ですね 今回の終点「厚狭」 山陽本線との接続駅
美祢線の歴史は・・・
 美祢線は山陽本線「厚狭駅」と山陰本線の「長門市駅」を結路線です。1905年(明治38年)、日露戦争開戦に伴い、大嶺炭田から産出される無煙炭を徳山の海軍燃料廠に運ぶために海軍大臣山本権兵衛が山陽鉄道に建設を命じ開業させたとされています。もっとも、その鉄道が開業する前に日露戦争は終わっていたそうですが・・・・。
 1920年(大正9年)に国有化され美禰軽便線となり、1922年(大正11年)に美禰線となっっています。正明市(現在の長門市)駅までは1924年に開通、その後、美禰線として東は宇田郷駅、西は阿川駅、北は仙崎駅まで延伸されたそうですが、1933年(昭和8年)に正明市駅から先は山陰本線に編入され、大嶺支線とされていた南大嶺 - 大嶺間は1997年(平成9年)に廃止されています。

 美祢線沿線には海上アルプスと呼ばれる青海島、カルスト台地と鍾乳洞の秋吉台、湯本などの温泉地など観光資源も多く、かつては急行列車も運行されていました。また、カルスト台地から石灰石運搬のための貨物輸送が旅客輸送以上に収益をもたらしていたようですが、主な顧客であった宇部興産伊佐セメント工場(現・UBE三菱セメント)が自社の専用道路を開通させ、トラック輸送に移行させたために宇部港駅向けの石灰石列車は1998年(平成10年)に廃止となったようです。

2010年の水害被害
 2010年(平成22年)7月12日から15日にかけて、山陽小野田市・美祢市で激しい豪雨に見舞われ、厚狭川の氾濫に伴い、湯ノ峠駅 - 厚保駅間の第3厚狭川橋梁が流失。また、別箇所でも路盤が流失したため、全線不通となってしまいました。JR西日本は会見で、復旧には1年以上を要し、美祢線全線を集中制御しているケーブルが断線したため、被害が比較的少なかった区間を含めた部分的な再開も難しい、また美祢線は近年の利用状況から、本来的には廃止をしたい路線と位置付けているとの見解を示しています。
 しかし、当時の山口県知事が美祢市の出身だったのと山口国体を控えていたことなどから(・・・・TANUKI の私見としては、県知事のごり押し(!)と思っていますが・・・・)、JR西日本広報部は「廃線はあり得ない。副知事との面会でもあくまで復旧が前提だった」と真逆のコメントし、山口県議会も「JRの復旧対策を支援する観点」に基づき、河川管理上必要な河川改修事業費として2年全体で5億3千万円程度の予算措置を行うことを決めています。その結果、国体開催1ヶ月前に全線開通を迎えています。

2023年(令和5年)の水害被害
 2023年(令和5年)7月1日、西日本で発生した大雨により四郎ケ原駅〜 南大嶺駅間で厚狭川をまたぐ橋梁が流失。周囲の少なくとも三箇所でバラストが流出、全線が不通となりました。
JR西日本広島支社は山陰本線・美祢線の被災状況を公表し、美祢線については湯ノ峠駅〜 長門湯本駅間37kmの区間で盛り土流失など18カ所、崩土流入・堆積など43カ所、橋梁変状など9カ所、電気設備など7カ所の計80カ所の被災があったことを明らかにし、「被災原因の多くが厚狭川の水位上昇、氾濫によるもの」とした。そのうえで2010年の豪雨災害も厚狭川の氾濫に起因するものであったとして、「橋梁だけでなく、河川管理者(の県)は、厚狭川全体の防災強度(向上)に向けた河川改修を検討する必要がある。河川改修に対応すると共に、関係自治体と地域交通における美祢線の役割について議論していかなければならない」との認識を示しています。
 2024年に山陽小野田市で開かれた「JR美祢線利用促進協議会」でJR西日本は「ワーキンググループの検討結果を踏まえると(美祢線は)JR単独で持続的な運行は困難だと見ている」との見解を示し、協議会に新たな部会を設け、美祢線の今後の在り方を協議することを提案し、同年8月28日に開かれたJR西日本と沿線自治体の会合で、JR西日本は鉄道での復旧をする場合、復旧費用に58億円以上かかるとの試算を示しました。さらに、2025年の利用促進協議会で、JR西日本はバス高速輸送システム(BRT)による復旧が最も適当との見解を示ました。
 それを受けて、同年7月16日に開かれた利用促進協議会臨時総会で、鉄道での復旧は断念し、BRTで復旧する方向で意見が一致。山口県と沿線自治体との協議が行われ、鉄道での復旧を断念のうえでBRTへの転換について合意がなされ、美祢線は廃線となりました。