大船山登山 番外編
TANUKI の 近況報告     大船山登山・・・番外編!       2015. 8. 4.
やまなみの道路で、こんな看板を発見! 別府地獄・・・坊主地獄に行ってみました
こんな観光場所が、過去何度も爆発してるんですね・・・ 別府から大分へ 東別府はレトロな駅舎でした
リニューアルした大分駅へ 数年ぶりに来たら、駅前の風景も全く変わっていました
府内戦紙(パッチン)って言うんだそうです・・・大分の新しいお祭りのようです
駅前のあちこちから、温泉ならぬミスとシャワーが・・・ 駅にJR九州「くろちゃん」のコインロッカーが・・・
面白い看板を見つけました!

 大船山登山の翌日、ms.TANUKI の母親のお見舞いと弟に挨拶を・・・と、ms.TANUKI の実家へ。久住にいるのだから、そのまま竹田に出て国道57号を走るのが最短距離なんですけど、ms.TANUKI が「高原野菜を買って帰る。お土産は九重のトウモロコシ!」と言いますので、またまた牧の戸峠を越えて九重町へ。JAの販売所で高原野菜とトウモロコシを買って、湯平経由で大回りして実家へ。でも、そのおかげで牧の戸峠近くで、面白い看板を写真に撮ることができました。行きに、この峠越えをしたときに発見して、2人で「格好良い〜!」と笑いながら通り過ぎて、写真には撮らなかったもので・・・。

結局、鉄輪でもう一泊・・・のんびりした時間を過ごしました

 ms.TANUKI の実家によって、ちょっとのんびりして・・・お陰で、山の疲れもずいぶん軽くなりました。このまま巣に帰っても暑いだけだし・・・別府へ。最近よく利用するホテルチェーンの鉄輪の旅館に。今回は素泊まりで・・・別府をあちこちブラブラ・・・。
夕食は、バスで別府駅まで行って、流川をぶらつき・・・いつものように居酒屋さん(二十八万石)に。TANUKI 夫婦は最近とみに、旅館の「これでもか!」的な会席料理が苦手になっています。で、勝手知った土地では、気ままに「とり天」とか大分の海の幸・・・いろいろ美味しいものを堪能することにしています。
 翌日は、帰る前に・・・もう少しだけブラブラ・・・と。まずは「坊主地獄」へ。ここは地獄組合(?)に入っておられないので、観光バスも寄りません。今まで行ったことがなかったので・・・とても新鮮な景色でした。あちこちに「爆発跡」があって・・・爆発の記録が残ってるってことは、地球の歴史からすると瞬き未満の前のことですよね。と言うことは、いつまた爆発しても不思議はないと言うことですか? う〜ん、別府も怖いかもね。

大分駅で・・・いろいろ面白いものを発見しました!

 ms.TANUKI が買い物をしたいというし・・・買い物するなら別府よりは大分か?と、車を別府駅の駐車場に停め、普通列車で再び大分へ。
別府駅に行くなら、その前に「信濃屋」さんで美味しいコーヒーを。いつものことながら・・・やっぱり美味しい。何か最近、我々夫婦は別府での行動パターンが決まってしまったようです。

 別府、大分間・・・普通列車には乗ったことがないので(別府からは観光列車に乗るし・・・、大分へは直接、特急列車で行きますから・・・)、東別府の駅、とてもレトロな駅でした。こんな町中に、こんなすてきな駅舎が残ってるんだ。
 大分駅・・・リニューアルして高架駅になっていました。ms.TANUKI は実家に帰省するのにいつも利用してるのですが、TANUKI は初めて「え〜、こんなんになったのか?!」とびっくり! でも、前はどうだったのか・・・思い出せませんね。

 駅前に、府内戦紙(パッチン)・・・張り子で・・・ねぶたを小さくしたような山車が置いてありました。府内というのは、お城のある大分の中心部。戦紙は、パッチンの絵札を連想するというネーミングなんだそうです。大分の新しい祭りなんだそうで・・・へエ〜、なるほど!
 駅前のマンホール(?)から白い煙が立ち上っていました・・・別府なら温泉の蒸気でしょうけど、まさか大分のこの町中に?と思って近づいてみたら、ミストシャワーでした。そう言えば、あちこちからミストシャワーが出てる。炎天下、これは良いですね。
 さらに駅で、JR九州のキャラクター「くろちゃん」のコインロッカーが・・・面白い! いろいろ発見できた大分駅でした。

 駅のアミュプラザで買い物をして・・・ms.TANUKI がいろいろショッピングしている間、幸いなことに、ここのアミュプラザにもポポンデッタのお店があったので、鉄道模型を見て時間がつぶれました。
 再び別府に戻って・・・宇佐まで高速道路を走り、国東の大分県立歴史博物館に寄ってみました。歴史博物館は写真が撮れなかったので(写真撮影禁止で)、ここに写真はありませんけど・・・大分の歴史のすごさを、改めて思い知らされた気がしました。熊野磨崖仏の大日如来像のレプリカや富貴寺大堂が再現されていました。学芸員のお姉さんが「磨崖仏にしても、年々風化が進んでいます。このレプリカは、実際に大日如来像から型を取って復元したものです。遠い将来に、こんな像があったんだと伝えていくために作られています・・・」とおっしゃっていたことが印象に残っています。

 国東の六郷満山仏教文化の余韻に浸りながら巣に戻りました。