「大賀蓮」を観に源久寺へ
TANUKI の 近況報告      「大賀蓮」を観に源久寺へ    2019. 7.22.
源久寺・・・まさに古刹って風格のたたずまいでした 境内横の田圃一面に蓮が・・・
雨に濡れて・・・花がとてもきれい! 蕾もきれいですね〜明日朝に咲くんでしょうね
境内には石仏や五輪塔などがたくさん建っていました 蓮の傍らに睡蓮も・・・こちらもきれい!
ローカル情報誌に「源久寺の大賀蓮が見頃・・・」との記事が・・・

 オオガハス・・・?? 源久寺? 歴史とか仏像は大好きなくせに、意外とローカルのことを知らないTANUKI夫婦。
何か・・・「オオガハス」「源久寺」という言葉(ワード?)に惹かれて行ってみることにしました。今まで行ったこともなかったけど・・・ま、山2つ向こうだけど同じ市内。だいたいの場所は分かるのでカーナビも必要ありませんし・・・。
 それにしても・・・蓮の花ってのは朝早く咲くんですよね。行こうって思いついたのは、もう夕方が近い時間。おまけに梅雨末期のしとしと雨の中。ま、思い立ったが吉日って言葉もありますよね!

行ってみてびっくり!すごい歴史のある古刹でした!

 静かな山寺って雰囲気でしたが・・・境内には石仏がたくさんおられ、建物も、山門からして古刹って感じのお寺でした。
 蓮は、境内の横の田圃一面に・・・。で、もう夕方が近いにもかかわらず、数輪の花がきれいに咲いていました。しとしと降り続けてる雨のせいでしょうか・・・。

で・・・「オオガハス」とは

 お寺の説明板によると・・・1948年(昭和23年)千葉県倹見川遺跡発掘で約2000年前の蓮の種3粒が見つかり、その種を考古学者大賀一郎博士が発芽に成功・・・この蓮を「オオガハス」と命名されたそうです。源久寺は、1984年3株譲り受け、ここまで育ったとのことでした。
 大賀蓮は、そのほかにも山口大学吉田キャンパスにも植えられ、咲いているそうです。

改めて知った古刹・・・「源久寺」とは

 以下もお寺の文化財の説明板からですが・・・建久8年(1197)に鎌倉幕府から地頭職に任じられた平子重経が、将軍源頼朝の菩提を弔うためにこの寺を建立。源家の永久安泰繁栄を願い、仁楽山源久寺と名づけ、重経の死後、ここを菩提寺としたそうです。
 また、平子氏はその後「仁保(ここの地名になっています)氏」を名乗り、後の西国の大大名 大内氏、毛利氏に仕えたようです。
 蓮田の間には平子重経の墓と伝えられる五輪塔がありました。また、寺には寺宝として・・・鎌倉から伝わったと伝えられる「木造阿弥陀如来坐像」、「源久寺平子重経坐像」、「絹本着色仁保弘有像」などが伝わっているそうです。

 ・・・と言うように、源久寺ってすごいお寺でした! 意外にも身近に歴史を伝えるすごい物があるのですね。ローカルなことって、あまりにも無意識で知らなさすぎる気がして・・・びっくりです。
 ちなみに・・・こんな時間に蓮を観に行くなんて、我々だけだろうと思っていましたら、我々の他にもお2人やってきた方がおられました。車は他県ナンバーでした、。ここ、相当有名なスポットのようです。知らなかった〜!!