「平成」から「令和」に代わりました
TANUKI の 近況報告    「平成」から「令和」に代わりました  2019. 5. 1.
「令和」最初のSLやまぐち号・・・国旗を掲揚していました 防府天満宮に行ってみました
参道の石段に花のプランターで「令和」の文字が・・・新聞やTVで紹介されて全国区になっています
なかなか格好良い花文字です 国分寺で御朱印を頂きました 山口大神宮でも御朱印を・・・
周防国分寺・・・ここは静かでした 山口大神宮は、もう夕方でしたので・・・参拝客も少なく・・・
外宮の周囲に群生するシャガの花がきれいでした 帰りがけに、山口三名水のひとつ「柳の水」に・・・
とうとう元号が「令和」に代わっちゃいましたね・・・!

 TVのどのチャンネルを見ても「令和」「令和」で・・・世の中大騒ぎのようです。「平成」への改元の時は、いろいろな演奏会や大会などを自粛するべきかどうかと、ずいぶん悩みましたよね。昭和天皇陛下の御崩御による改元でしたから・・・やっぱり大変でしたよね。
 今回は御退位に伴うものだから・・・お祝いムードですね〜。退位は1代限りの特例だとか、皇位継承問題など、いろいろな議論があるようですけど・・・TANUKIはこれで良いのだって思います。今の政権を支えてる極右の人たちは認めないんだろうけど、陛下だって現人神じゃないんだから・・・「もうや〜めた!」って退職されても良いと思うし、世界の王室なんかをみても男系じゃないといけないなんて時代錯誤じゃないのですかね?

とりあえず・・・令和の記念に!

 「令和」のルーツ(?)は太宰府のようなのですが、ちょっと行くには・・・ね。だったら、防府天満宮だって北野や太宰府と同じ日本三大天満宮の一つなんだからと思い・・・ちょうど新聞やTVで、防府天満宮の参道に花を並べて「平成」から「令和」の文字を描いたというのが報道され、それも全国版で放映されてましたので・・・これは見なきゃと出かけてみました。
 ま、防府天満宮なら・・・・と、気楽な気持ちで出かけたのですが・・・やはり甘かった! まずは駐車場がどこも満車状態。それも他県ナンバーが多い・・・。何とか車を駐めたけど、やっぱりすごい人でした! 参道の「令和」の文字付近はそうでもなかったものの、御朱印の受付には、拝殿をぐるっと回り込んで100m以上の列が・・・。これは、何時間待ちになるのかなって状態でした。

 別に令和の御朱印は天満宮でなくても良いじゃん(TANUKIの本音は、じっと並んで待つことが嫌いなだけですけど・・・)と、天満宮はあきらめて近くの周防国分寺へ。
ここは観光客も少なく、静かでした。国分寺は・・・ご本尊の薬師如来さんをはじめ、たくさんの大きな仏様がど〜んとおられて、しかもすぐ近くまで行って参拝できますので、TANUKI夫婦の大好きなお寺です。太宰府の観世音寺もそうですけど・・・仏様の前に座ってじっと眺めていると、なぜかとても静かな気持ちになれます。何度来ても落ち着けるお寺です。

 国分寺を出て・・・やっぱり皇室ならお伊勢さんだよねと、山口大神宮に。ここ「西のお伊勢さん」と呼ばれていますから。神社の説明では、直接伊勢神宮から分霊して神宮ができたのは、明治までここが唯一だそうで・・・その後、毛利輝元の時代に後陽成天皇から「伊勢」の名称を頂いたとか・・・。
 ま、歴史はともかく・・・到着したのは、もう夕方でしたので、さすがに参拝客は少なくスムーズにお参りできましたし、御朱印もいただけました。でも、神官さんや巫女さんたちが、かなり疲れた〜って顔をしておられましたが・・・きっと、今日は忙しかったんでしょうね。

 巣に帰る前に・・・せっかくここまで来たからと、大神宮の奥の谷に。この谷間の奥に、確か山口三名水のひとつ「柳の水」があったはず。ずいぶん昔・・・TANUKIの母親がお茶会に使うとか言うので汲みに行ったことがあるのですが、ずいぶん荒れ果てていた覚えがあります。あと2つの名水は、すでに枯れています。どうかな〜と思いつつ行きましたら・・・周辺は、廃屋と耕作放棄地が広がっていましたが、名水はまだ流れ出ていて、周辺もきれいに草が刈られ整備されていました。
標識によると、「名水を守る会」の方が整備されてるようです。室町時代から続く名水ですから・・・ありがたいことです!

 ちょっといい気分に浸りながら・・・TANUKI夫婦の令和がスタートしました。