初 詣 & 我が家の恒例ローストビーフ
TANUKI の 近況報告   初 詣 & 我が家の恒例ローストビーフ  2020. 1. 3
祇園祭の八坂神社へ・・・ここは静かでした 今八幡宮に・・・ここの創建は鎌倉時代とか
今八幡宮は、なかなかの人出でした ここも室町時代の創建・・・40年ぶりに古熊天神へ
お寺も・・・もちろん室町時代 国宝五重塔の瑠璃光寺へ 今年もローストビーフが美味しく焼けました
今年の初詣は・・・室町時代創建の古社、三社プラス一寺詣り!

 今年の初詣・・・昨年同様、TANUKIの町で一番メジャーな神社を考えたのですが、朝からとても良いお天気。きっとすごい人出だろうな〜でも、夕方が近くなったら人は少なくなるだろうと・・・午後から出かけてみました。
ところが・・・臨時駐車場になってる県庁前は昨年以上の大渋滞。渋滞を避けて、何とか県庁の反対側、埋蔵文化センターの駐車場に。駐車場整理をしてた方が「ここで3年間この仕事をしてるけど、こんなに多いのは初めて」と言っておられました。
 昨年は、神社への階段下の鳥居まで列が伸びていましたが・・・今年は、なんとその先を辿って行ったら、参道を抜けて県庁駐車場の中にまで列が伸びていました。これは・・・鳥居まで1時間以上はかかりそう、それから拝殿までとなると・・・。
あきらめて・・・大内氏の時代(室町時代)に創建された古社は、ここ大神宮だけじゃないぞと、いずれも大内氏によって創建か由来のある古社三社詣りを考えてみました。
 TANUKIの住む町は・・・室町時代、西国一の守護大名(戦国大名)大内氏によって「西の京」と呼ばれる程の繁栄を誇った町です。京の都を模した町づくりをし・・・戦乱で疲弊した京都を逃れた文人などが大内氏の庇護の元、京都の文化と明などの文化を融合させた「山口文化」と呼ばれる独特の文化を創り、末期には京都をしのぐ程の繁栄をしたそうです。
また、フランシスコサビエルにキリスト教の布教を許し、日本初のクリスマスミサが行われた記録も残っています。
「○○大路」「○○小路」と言った京にちなんだ地名も残っていますし、祇園祭とかもありますし・・・鷺舞とか鷺流狂言のように、京都ではすでに廃れてしまったものも残っています。山口の方言には・・・古い京都の言葉の名残があると言われた言語学者もおられました。
 しかしながら・・・大内氏滅亡の後、関ヶ原で破れ周防と長門の2国に押し込められた毛利氏は、大内氏の都を打ち捨てたばかりでなく・・・町中に立ち並んでいた大きな寺社の伽藍などを他国に売り払ってしまいました。そのとき売られた伽藍で現在も兵庫県などに残っている物もあるようです・・・あくまで仮定ですが、それらの文化遺産がそのまま残されていたら日本で最初に世界遺産(文化遺産)に指定された地になっただろうと思われます。県内他の地域は・・・殿様と言えば毛利氏ですが、ここ山口だけは「大内のお殿様」なのです。
 話がダラダラと長くなってしまいましたが・・・そのような訳での大内氏ゆかりの古社、古寺めぐりなのです。久しぶりにあちこち行ってみましたけど、古熊神社にお参りするのは・・・40年ぶり。懐かしかったけど、周辺の町並みの変わりようにびっくりでした。大内氏ゆかりの古社・古寺はまだまだたくさんあります・・・ゆっくり巡ってみたいものです。

さて・・・我が家の正月は

 元日は夫婦2人で初詣をして静かに過ごしましたが・・・2日にはチビダヌキと3番目の孫ダヌキがやってきて・・・3日に家族全員が集合。前の日から仕込んでいた2kgのローストビーフがみんなのお腹に収まりました。
盛り付けは、例年通りチビダヌキ。家族も増えてこれだけでは足りないので・・・昨年は、猪鍋でしたが、娘ダヌキがジビエ料理は・・・と不評でした(美味しいのにね〜)。仕方ないので、今年は豚汁にしました。(豚も猪も同じ種類なのに・・・)
 牛肉も豚肉も・・・いつも通り、昭ちゃん肉屋の若大将がとても良いお肉を準備してくださるので、とても美味しくできました。子供たちも孫たちも、みんなが満足してそれぞれの巣に戻っていきました。これで今年もTANUKI夫婦の1年がスタートです。孫たちが泊まるというので布団の準備から料理、後始末まで、ms.TANUKIは大変でした・・・ありがとう!ご苦労様でした!