日田彦山線の旅 その2
TANUKI の 近況報告   日田彦山線の旅 その2 〜 臼杵石仏とひな祭り 〜  2016. 2.23.
臼杵石仏 ホキ石仏 阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩路 どの石仏も見事です・・・阿蘇の火砕流の凝灰岩だそうです
彩色もきれいに残っていますね〜! 凝灰岩がのため風化が激しいとか・・・保存も大変そうですね
臼杵の町へ 城下町の風情がきれい 雛めぐり開催中 ここは紙雛のようです
ぶらぶら歩いてて「小手川商店」ってのを見つけて・・・ 昼食・・・味噌料理・・・とても美味〜!!
二王座歴史の道・・・武家屋敷跡、白壁の土蔵、寺院が・・・ 大友宗麟が築城した臼杵城の跡だそうです
久しぶりに・・・臼杵石仏へ行ってみよう!

 せっかく別府に来たんだから・・・どこか行ってみようと、今回は臼杵に行ってみました。そのために昨日、別府駅についてすぐレンタカーを借りておきました。鉄輪から駅まではバスで30分かかりますしね。鉄輪からだったら、すぐに高速道路に乗れますから。
 臼杵の石仏・・・子供達を連れてきて以来。何年ぶりだろう。国宝の石仏さんの頭が元に戻ってすぐだったから・・・。東九州道ができて、行くのも楽になりました。臼杵ICを降りたらすぐの所でした。
 前に来た時は、風化防止のため屋根ができたってことでしたが・・・今回見たら、周囲の崖もコンクリートで覆ってありました。そして、あちこちに排水設備が・・・。阿蘇溶結凝灰岩とのことですから、彫りやすい代わりに風化も早いんでしょうね。保存も大変なんだ。
 拝観料金が割引ですって入り口で言われ、何だろうと思ってましたら・・・一番有名な古園石仏群の大日如来像は保存工事中とのことで近づけませんでした。完成図がありましたが・・・屋根だけでなく、周囲も囲ってお堂のようにするのかな?
 ms.TANUKI が説明文を見て「飛鳥時代から・・・って書いてあるけど変ね?」「その時代の住居跡かなんかが出土したのじゃない?」「ここの仏様は平安末期から鎌倉だよね・・・」と話してましたら、ちょうど目の前にたくさんの阿弥陀様が並んでおられました。これって、ひょっとすると「九体阿弥陀」? ガイドブックには「九品の阿弥陀」とありましたから間違いありませんね。と言うことは、この仏様を彫ったのは末法思想の平安末期ということになりますね。

臼杵の町にも行ってみました・・・

 臼杵の町は、今まで側を何度も通ってるけど行ったことがありません。石仏の案内所で「臼杵の町は、ここから車で15分ぐらいです。町営の駐車場は有料だから、観光案内所に駐めたら良いですよ。今日は平日だから空いてると思いますよ。」と教えてもらって出発。
教えていただいた観光案内所の駐車場は空いていました。案内所のお姉さんも、とても親切に案内をしてくださり「・・・とにかく石畳の道を行けば大丈夫です。」とのこと。歴史的な建物とかを巡るように、ずっと石畳の道が続いていました。これは良いですね。
 それにしても立派な商家や蔵がたくさん残っていました・・・というか、歴史的な古民家が、単なる展示じゃなくて、今も使われているようです。すごい町だな〜と思いました。大友宗麟の城下町で南蛮文化の窓口であり、キリシタン文化の中心地だったとか。なるほどと思えるきれいな静かな町でした。特に「二王座歴史の道」旧真光寺周辺は、ガイドブック通りの情緒溢れる素敵な道でした。
 昼食は、町並みをぶらぶらしてましたら、立派な建物の造り酒屋さんの向かいに、やはり立派な商家があって、「小手川商店」の看板が掛かっていました、そして店先の看板に「味噌料理」と書いてありましたので入ってみました。
赤だしも卵黄の味噌漬けも豆腐の味噌漬けも・・・みんな美味しかった。ただ、帰りの車の中で、やたらのどが渇きましたが・・・。
 ちょうど「臼杵雛めぐり」開催中で、あちこちに雛人形が飾られていました。ただ、どこも紙雛でした。ずらりと並んだ紙雛が、それぞれ和紙の産地が違ってて、微妙な味わいを醸し出していました。日田豆田町の豪華なひな人形を想像してましたので、最初「えっ?何で紙雛?」と思いましたが、説明によると・・・昔、お殿様が質素倹約令を出して、紙雛以外のお雛様を売り買いすることも飾ることも禁止したので、臼杵の雛は紙雛なんだそうです。でも、紙雛も上品で素敵でした。

もののついでに・・・風連鍾乳洞にも

 臼杵の散策を早めに切り上げて、風連鍾乳洞へ行きました・・・ここからは、申し訳ありませんが・・・次のページをご覧ください!

                                                   「日田彦山線の旅 その3」につづく